2014年の初夏。水戸のシンボルともいえる水戸芸術館から徒歩10分ほどの民家にて、ローカルな音楽フェスが行われていた。その名も「キワマリフェス 2014」。「2014」などと謳うわりに、そのフェスは今回が初で、来年も続くのかは誰にもわからない。とにかく、謡い文句は「昼下がりの呑気なお祭り」。DJも来て、カレーが振舞われるらしい、という噂を聞きつけ、50人以上のお客さんが集まった。
当日は、バンドもあればクラブミュージックもあり、さらには自作の楽器マシンによる「ゾンビ音楽」で有名な安野太郎さんも現れて、一軒家は怪しい熱気であふれた。出し物のトリは、即興演奏の第一人者、Sachiko Mさんによるライブだ(ポップソングの作曲も手がけ、NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の挿入歌の作曲にも参加)。ライブが行われた8畳間からあふれた観客は建物の外に出て、雨の中で傘をさしながら耳をすませた。流れてきたのは、サイン波と呼ばれる特殊なノイズ。雨に混じりながら消えていく音の波に、目を閉じて聞き入る聴衆。なんとも異世界的な盛り上がりを見せて、フェスは幕を閉じた。
このイベントが行われたのが、「水戸のキワマリ荘」。ここは、「アーティスト・ラン・スペース」、つまりは自主運営する美術スペースである。作品制作を行ったり、既存の商業ギャラリーや美術館がとりあげない作品に光を当てたりする、いわば「もうひとつ」のアートスペースである。
「水戸のキワマリ荘」が生まれたのは、2007年のこと。その設立から8年の間、移転や運営メンバーの交代などの変遷を経て、現在は7人が「キワマリメンバー」として家賃を出しあい、運営している。内訳は、現代美術家が2名(中崎透さん、五嶋英門さん)、写真家(松本美枝子さん)、グラフィックデザイナー(横山さおりさん)、水戸芸術館のスタッフが2名、(寺門陽平さん、田中麻衣子さん)、そして最後に五嶋さんの妻の美予子さん。
ここは、最近のシェアハウスのようなオシャレさとも、古民家のようなカッコよさとも無縁。ガラガラとサッシの引き戸を開けるとコタツが見えて、「こんにちは、お邪魔します」と声をかけたくなる。
奥に進むと、大小いくつかの部屋に分かれていて、うち3部屋はギャラリーになっている。中崎さんが運営する「遊戯室(中崎透+遠藤水城)」(以下、遊戯室)、水戸芸術館の学芸アシスタントの寺門さんが運営する「space AFA」、そして美術家の五嶋さんが運営する「spam」(今は物置状態)である。その他の一室は、グラフィックデザイナーの横山さおりさんの仕事場で、バスルームのひとつを写真家の松本美枝子さんが暗室に改造している。最後になったが、玄関前のコタツの部屋は共有スペース。来訪者が美術関係の本を読んだり、酒盛りしたりする場所だ。
ここは、街や社会に貢献しようとか、いいことをしようとかいう意図はまったくないと古いメンバーの中崎さんは言う。「ただ、現代美術に接点がない人でも、気軽に寄れてゴロゴロしてくれればいいなと思って」(中崎さん)
現代美術作品が醸し出すピッとした緊張感、そして民家という「箱」が醸し出すユルさが混じり合う不思議な空間の「水戸のキワマリ荘」。実はここは水戸の重要なアートシーンでもあるらしい。というより、ここ自体が水戸という地方都市が産み出した、ひとつのアート作品なのかもしれない。
中崎透個展『現代の習慣』、「遊戯室」にて。
奥の白いスペースは、寺門さん(中央)が運営する「space AFA」
松本美枝子個展『そのやり方なら知っている』展示風景。
「水戸のキワマリ荘」は、2007年の水戸芸術館での展示、「夏への扉 –マイクロポップの時代」の副産物として産み落とされた。生みの親は、展覧会の参加作家、有馬かおるさんである。
彼はもともと愛知県・犬山で「キワマリ荘」というアーティストが集まるスペースを運営していた。激安でアパートの一棟を借り受け、そこをアーティストにまた貸したり、好きな作品の展覧会を開いたり、となかなかカオスなスペースだったらしい。
その有馬さんが、「マイクロポップの時代」展に参加する際、水戸で滞在制作をすることになった。その時、2年で取り壊しが決まっている激安物件を見つけ、新たに自宅兼アトリエの「水戸のキワマリ荘」を開くことにした。その試みを水戸芸術館側も面白いと思ったようで、「マイクロポップの時代」展と連動した展示を「水戸のキワマリ荘」でも開催することに決定。7組の作家がここで期間限定の展示を行った。
当時、彼はこんな言葉を水戸芸術館のHPに寄せている。
前回(※犬山)は、「ぼろい、古い」でしたが、今回は(※水戸)、さらに「汚い、足りない」が爆発! (中略)さぁ、 て、ここは、無理してくる所です。「めんどくさいなぁ」って来る所 で、時間とお金を少し使う所。 それだけしても、何も無い所。お茶もでない所(たぶん)。まあ、そんな所で‥‥まあ、こんなところで・・・・・・。
(水戸芸術館のHPより抜粋 ※原文ママ)
このテキストからは、展示風景を想像するのがなかなか難しいが、とにかくこれが「水戸のキワマリ荘」誕生の記念すべき瞬間だ。とはいえ、この時はあくまで2年限定のプロジェクトだった。
展覧会の終了後、有馬さんは「水戸のキワマリ荘」に愛知から作家を招いたり、地元アーティストの展示を企画して、金・土・日は、誰もが自由に出入りできるスペースとなった。しかし、半年ほどが過ぎた頃、さすがの彼も、自宅に不特定多数が常に出入りする状況に少々疲れたようで、アトリエと自宅を分けることを考え始めた。
すると今度は大家さんから、どうせならもうひとつ別の一軒家を借りないかという話が持ち上がる。大家さんは、「水戸の街が駐車場ばかりになっていくのが寂しい。家はどんな風に使ってもいい。若い人が集まる場所にしたら」と声をかけたのだ。しかも、期間は無期限。なんとも心が広い大家さんである。
そのタイミングで、その後の「水戸のキワマリ荘」の行方を左右する一人の現代美術作家が水戸に転居してくることになった。現在ギャラリー「遊戯室」を運営している中崎透さんだ。
もともと水戸出身の彼は、大学院の博士課程後期を満期退学したばかり。その時、水戸芸術館の主任学芸員(現在)の高橋瑞木さんから「戻るんなら、面白いところがあるよ!」と声をかけられた。高橋さんは、数々の世界的アーティストを日本に紹介したキュレーターで、水戸のアート人脈の中では姉御のような存在である。
そこで、中崎さんが新しい「水戸のキワマリ荘」になる物件に足を運んだところ、「便利な場所で、面白そうなスペース」だと感じ、もともと彼は東京の大学内でギャラリーを運営していたこともあり、キュレーターの遠藤水城さんに声をかけ「遊戯室」を始めることになる。
「東京から持ってきた冷蔵庫とか生活必需品を全部ぶちこんで、コタツをもらってきた。ストーブが欲しいなあと思っていたら、ちょうど道端に落ちていたりして、とにかく冬は越せる設備を揃えました」
中崎さんは、さっそくこの広い一軒家全体を使って、アーティスト数組を呼んで展覧会を開催。これがまた、「水戸のキワマリ荘」の縁側の窓をぶち破って茶碗を盗むところを映像ドキュメント化するという、私の筆力では表現しきれない作品などの展覧会だったらしいが、とりあえずここは先を急ごう。そういう作品展示の他にも、横浜美術館の館長(当時)や、地方のアーティスト・ラン・スペースの運営者などを招いて、ちょっと真面目なシンポジウムも行われた。
そうこうするうち、「水戸のキワマリ荘」は一部で知られるようになり、一室をレギュラー的に借りたいという人が現れる。茨城大学のOB数人が、共同ギャラリー「ROOTS」(現在は寺門さんが引き継ぎ、「space AFA」に)を開いたり、布や雑貨のお店を始める人もいたり。
ところがその後、創始者の有馬かおるさんは再び県外に引っ越すことになった。さて、どうしようという展開だが、その頃には、中崎さんをはじめ、レギュラーの借り手が数組いたので、家賃は払えたし、大家さんも有馬さんも「水戸のキワマリ荘」の存続を歓迎した。というわけで、生みの親が去った後には、少し混沌とした「水戸のキワマリ荘」と数組のキワマリメンバーが残された。
管理を引き継いだのは、美術家で、現在茨城県立近代美術館のミュージアムショップ「みえる」の店長を務める五嶋英門さんだった。彼は、もとは「水戸のキワマリ荘」で展示したアーティストだったのだが、有馬さんに「ねえ、奥のスペース1万円で借りない?」と声をかけられ、「あ、はい」と答えてしまい、いつの間にか管理人まで任されてしまったそうだ。
はて、管理人とは具体的にはなにをするのか。
「いやあ、家賃を集めること以外は、あんまりないんだけどね」と茨城弁のニュアンスが残るのほほんとした口調で答えた。
「あ、でもちょっとだけ権力あるかも!?(笑)。まあ、『キワマリフェス』とかみたいに、みんなでなんかやる時に、『音楽やろうぜ』みたいに、なんか決めたりとか。でも、普段は特に何にも決めない。『こうあるべき』と決めると可能性が狭まるからさあ」
「そうだよね、『決めない』っていうのが五嶋さんの役割なんじゃない」とメンバーの誰かが言うと、「そう、いいこと言うなあ」と五嶋さんは嬉しそうに頷いた。
あるべき姿がない、というのはここのアイデンティティかもしれない。確かに、ここで行われているイベントや展示はほとんど一貫性がないし、ルールらしいルールもない。
時に「キワマリフェス2014」のように、関係者全員で企画する大掛かりなイベントも時にはあるが、普段は各々がワークショップをしたり、作品を制作したり、アーティストを招いて展示をしたり、音楽を聴いたり、昼寝をしたり、宴会をしたりしているのであった。
当時、「水戸のキワマリ荘」の実態を知らずに勢いだけで入居してしまったデザイナーの横山さんは、あまりにも自由すぎる運営形態に「ずっと戸惑ってて、あの、こうしたらどうですか!と何かを提案してはスルーされてました」と懐かしそうに思い出す。
「水戸のキワマリ荘」にとって水戸芸術館はまさに生みの親なわけだが、その規模も形態もまったく異なっている。それでも、親子というのは切っても切れない縁があるらしい。その濃い関係は、開荘から2年後、水戸芸術館のコレクション展の時に大きな花火となって打ち上がった。
「現代美術も楽勝よ。」というタイトルのそのコレクション展は、開館20周年を記念して、所蔵作品を一堂に見せる機会だった。
展示室に足を踏み入れた観客は、「あれ?」と首をかしげた。なぜか脚立が倒れたままで、台車や箱も無造作に置きっぱなしになっている。さらに先を進むと、今度は白いテープでかたどられた人型があるではないか!?(殺人事件の現場にある、あれだ)
Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)《Reversible Collection》2009年 水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景 撮影:加藤健 写真提供:水戸芸術館現代美術センター
実は、展覧会開催の2日前、ある学芸員が謎の死をとげていたことが発覚する。
……というのは、嘘ではないが、本当でもない。実は、この放置された脚立や箱も展示の一部なのだ。それは架空の殺人事件を軸にした体験型のアート作品で、タイトルは、「学芸員Aの最後の仕事」。
つまりは、コレクション展自体が、学芸員Aによる「最後の仕事」で、「殺人現場」である展示室は、現場検証のために保存されているという設定なのだ。
遊び心が炸裂するこの展示をしかけたのは、先出の姉御な学芸員、高橋さん。この企画の意図を、彼女はこう説明する。
「水戸芸のコレクションには、『どこの国の近代美術の何を集める』みたいな体系がなかったんです。だから、ただ並べて展示しても面白くない。何か面白い見せ方できないかなあって」
そこで声をかけたのが、「遊戯室」の中崎透さんが仲間と結成する、Nadegata Instant Party(ナデガタ・インスタント・パーティ)というアートユニットだった。話を聞いた中崎さんは、「だったら『ダ・ヴィンチ・コード』(ルーブル美術館を舞台にしたベストセラー小説)の水戸版みたいなことをやりたい。水戸芸で殺人事件がおきたという企画はどうですか?」と提案した。
その話を聞いた私は、驚いてしまった。水戸芸術館は、水戸市が運営する公的施設だ。「公」がからんだところは、とにかくお堅いという印象を持っていた。
「殺人事件のアイディアを聞いて、どう思いましたか?」と私が高橋さんに聞くと、彼女は、「面白いなー!やっちゃえ、やっちゃえ、って思った」と心から愉快そうに答えた。
コレクション展を一通りめぐると、最後にコメディータッチの映画が上映されている。わけもわからず映画を見せられた観客は、実はこのコレクション展には、殺された学芸員Aからの「ダイイング・メッセージ」がこめられていることを知る。そして当の映画は、市民や残された学芸員たちが一致団結してメッセージを解いていくという内容。映画鑑賞後に再びコレクション展をめぐれば、自らも謎解きに参加できるという趣向になっている。
Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)《Reversible Collection》2009年 水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景 撮影:加藤健 写真提供:水戸芸術館現代美術センター
Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)《Reversible Collection》2009年 水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景 撮影:加藤健 写真提供:水戸芸術館現代美術センター
現実と虚構、そして映像の向こう側とこちら側がメビウスの輪のようにつながって永遠のループを描くような稀有な展示体験だ。さらに、この映画に出演しているのは、実際の水戸市民や本物の学芸員たちだ。「ねえ、これって“ダイイング・メッセージ”なんじゃない?」と不自然すぎる台詞を放つのは、仕掛け人の高橋さん自身。キワマリメンバーも重要な役柄に配置され、松本美枝子さんは犯人役で、寺門さんは容疑者役に。
ということは、この展示自体は「事件の現場」であると同時に、市民参加型ムービーのロケ現場なのだ。あ、そういうことか!と気付くと、さらに現実と虚構が真夏のソフトクリームみたいに溶けあっていく。なんて、面白いのだろう。
「本当に大胆な企画ですね!」と私が驚いていると、高橋さんは余裕綽々で答えた。
「いいんじゃないですかね? 私もここが東京の近代美術館だったらちょっとは躊躇したかもしれない。でも、ここは水戸だし、水戸芸は実験的なことをやる場だと思う。これで地元の若い作家が経験をつめればいいんじゃないかな」
この全ての筋書きを描いた中崎さんは、作品の意図をこう解説する。
「すでにできあがった作品を見るっていうのは、氷山の一角を見ているのと同じ。表面の一枚を剥ぎ取ったら作品がぱっと変わって見えて、その瞬間にぞわっとする。そういう作品の作り方もアリなのかなって。そのプロセス自体をドキュメントしていくことが僕ら(ナデガタ・インスタント・パーティ)のアイデンティティなんです」
コレクション展が記念行事なら、映画の撮影は祭りそのものだった。美術館だけではなく、千波湖の湖畔や、喫茶店やデパートなど、街のそこら中で撮影が行われた。
「みんな素人だから演技がほんとヘタで。私は、セリフはないけど目立つ“おいしい脇役”がやりたかったのに、なぜか犯人役にされちゃって。『愛してる』というセリフあったんだけど、もう一生懸命やっても『あ、あいしてるー』みたいな棒読みになっちゃって」と振り返るのは写真家・松本さん。
刑事役を任されたのは管理人・五嶋さん。「僕は出たくたなかったから、ずっと『ああ、あいつら、何かけったいなことやってんな』と距離を置いていたのに、とつぜん中崎君から『刑事役やる人が旅行に行っちゃったから出て』と言われて、仕方なく」
「僕なんか、なんの役だかも知らされないで、とにかく出ろって言われたんです!」(寺門さん)
そう振り返るキワマリメンバーたちは、心から楽しそう。そんな祭りの間、この「水戸のキワマリ荘」は、いわば戦略本部のような感じで、撮影の打ち合わせに、BGM作りや、読み合わせ、資材置き場などとして、大いに活躍したそうだ。
ちなみにこの映画は、エンディングもなかなかクレージーである。ダイイング・メッセージによれば、学芸員Aは、千波湖の湖畔で「レイクショー」という音楽フェスをやるのが夢だったことが発覚(理由はもちろん不明)。そこで、みんなで実際に音楽フェスを実現するのがフィナーレだ。その撮影は非常に大掛かりだったと中崎さんは振り返る。
「フェスのシーンを撮ろうとすると、実際にフェスをやるのと同じくらい大変なんです!エキストラも300人くらい必要で、『ラストシーンの撮影です!集まってください!』といろんなところで声をかけました」
ステージに上がるのも、地元の高校生バンドやパフォーマーたち。五嶋さんの奥さんの美予子さんも、この期に乗じて「山猫」というにわか踊り子軍団を結成し、フェスに出演した。
「ライブに出るのが二回目という高校生バンドが演奏が始めて、撮影なので『さあ、盛り上がってください!』と言うと、無理矢理に『わー!!』って。でも段々本当にすごく盛り上がって。最後はぐちゃぐちゃ。300人が狂ったように歌って踊って終わりました」(中崎さん)
そうやって、この「学芸員Aの最後の仕事」は完成した。
『ダ・ヴィンチ・コード』をイメージしているようだけど実際はどうでしたか、と私が聞くと、キワマリ荘のメンバーはわはは、と笑い転げた。
「ダ・ヴィンチ・コードに失礼だよな!」(五嶋さん)
「ストーリーが完全に破綻してるの!」(松本さん)
まあ、内容の細かい矛盾や素人の棒読みはある意味、意図的に仕組まれたもの。それよりも、これは、水戸市民を巻き込んだ一度きりの祭りであり、ある年の水戸の町と人をレンズで切り取ったアート作品なのだ。それは、“実験”をいとわぬ水戸芸術館、そして「もうひとつのアート」を提案し続けた「水戸のキワマリ荘」、そして祭り好きな市民を抱えた地方都市が揃ったからこそ可能になったのだろう。
高橋さんは、「ここ(水戸のキワマリ荘)の存在意義は水戸芸にとっても大きい」と言う。ここでは、水戸芸術館で開催された展覧会の打ち上げがしばしば行われ、アーティストや学芸員、そして一般市民が垣根なしにお酒を酌み交わす。
「美術館だと作家(アーティスト)と市民が直接会って気軽に話す機会はあまりないんですよ。でもここでは、作家やキュレーター、市民が気軽に話せるんです。鍋とかつついて。飲み食いできる場所というのは大きいですね!美術館は飲み食いできないですからねえ」(高橋さん)
コタツに鍋、というのがいかにもここらしい。今までに、ここには世界的アーティストが多数やってきた。イギリスを代表する現代美術家のジュリアン・オピー、韓国を代表する美術家のヂョン・ヨンドゥ、音楽家の大友良英さん(NHKの連続テレビドラマ小説「あまちゃん」で一躍有名に)など、それは数え切れない。
そういう大物アーティストと一緒に、カフェのオーナー、普通の大学生、学校の先生などがコタツを囲む。彼らは、「水戸のキワマリ荘」に頻繁に出入りする一般の人たちで、そういった「キワマリ・フレンド」がいるからこそ、ここがずっと成立していると松本さんは話す。
キワマリメンバーとキワマリフレンド
キワマリ荘によく遊びに来ていたキワマリ・フレンドの田中麻衣子さんは、ここは、「受け皿」だと表現した。「私は、仕事の転勤で水戸に来たんだけど、誰も知り合いがいなくて寂しかった。でも、ここに来るようになって、いろんな人と知り合えた。そういう貴重な場所」
そう話す彼女は、去年から正式に“フレンド”から“メンバー”に昇格した。しかも彼女は、「水戸のキワマリ荘」近辺をうろつくうちに、水戸芸術館に転職することになり、美術業界で働くという長年の夢までを叶えてしまったのだから、もう手品のような展開だ。
さて、その後もメンバーはそれぞれの持ち味を生かして、水戸芸術館と関わっている。2010年に水戸芸術館で企画された大友良英さんの展覧会、「アンサンブルズ2010−共振」では、地元の作家として中崎さんと五嶋さんが展示に参加した。その時は、「水戸のキワマリ荘」もサテライト会場となり、会期終盤には1日に100人近くがここを訪れた(メンバーは疲弊!)。写真家の松本美枝子さんは、水戸芸術館で毎年行われる高校生向けのワークショップ「高校生ウィーク」の「写真部」を担当し、写真を通じて地元の高校生と対話を続ける。デザイナーの横山さんは、水戸芸術館のイベントのフライヤーなどのデザインを担当。寺門さんと田中さんは、それぞれ水戸芸術館のスタッフとして日夜働いている。寺門さんは、学芸員実習で毎年「水戸のキワマリ荘」に博物館学を学ぶ大学生たちを連れてくる。
そして、「水戸のキワマリ荘」らしい独自の企画も、水戸の市民をゆるやかに巻き込みながら現在進行形だ。さすが、普通のギャラリーや美術館ではできないことばかりである。例えば、コレクション展の映画撮影時に結成された踊り子ユニット「山猫」は、「ザ・ベストテン」を模したダンス・ショーのUSTREAM番組に、アーティストとコラボレーションしたミュージカルまで開催。横山さんが2010年から企画する「キワマリ荘ガレージセール」は近隣住民にも大人気だ。新参者・田中麻衣子さんが発起人となったイベント「よんでみる」では、作家やミュージシャンを招いてのトークやライブ、アーティスト・イン・レジデンス(滞在型作品制作)が行われ、現在までで12回を重ねた。もちろん、各メンバーが企画する現代アートや写真作品の展示も健在である。そして、昨年のハイライトは、なんといっても全員が力いっぱい全力投球した「キワマリフェス2014」だった。
「初期の頃は、それぞれがバラバラに活動していたのが、最近はだんだん『キワマリ荘』というまとまった団体として世に出てきたのが面白い」(中崎さん)
そうだ、「キワマリフェス2014」にはちょっとした後日談もある。フェスの打ち上げをすると称して五嶋さんを呼び出し、奥さんの美予子さんとのサプライズ結婚式をここで行ったのだ。入籍から結婚式をあげていなかった二人、特に五嶋さんは「頭が真っ白に」なり、柄にもなく嬉し涙を流し、「普通に結婚式やるよりよっぽどよかったよ」と喜んだ。しかし、それ以上に号泣していたのは写真家の松本さんだったらしい。だからなのか、松本さんは、「私にとってのキワマリ荘は、疑似家族」と表現した。
というわけで、水戸といえば、納豆に水戸黄門に偕楽園、そして水戸芸術館と「水戸のキワマリ荘」である。
さて、そこのあなたもキワマリ・フレンドになりたいですか? あの場所は、そんな人のためにいつでも門戸を開いている、と言いたいところだが、必ずしもそう言えないのが申し訳ない。というのも、メンバーが他の仕事で忙しい時は、ずっとクローズする日が続くからだ。逆に、メンバーが「何かやろうぜ!」と盛り上がれば、また展覧会やイベント、そしてフェスが打ち上げ花火のように続くのかもしれない。その時は、誰でもウェルカムである。というわけなので、「ここに行ってみたい!」という方は、ぜひ彼らのHPを確認することをお勧めする。
運良く中に入れた日には、こたつで誰かと意気投合するかもしれないし、逆に理解不能な作品を前にポカンとしながら帰途につくのかもしれない。それはたぶん、その作品、そこにいる人、その時の雰囲気次第。思いつきのように誕生し、偶然の出会いの中で発展してきた「水戸のキワマリ荘」らしく、全ては予測不可能なのである。
川内 有緒 ノンフィクション作家
日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。
その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。
2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。
書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。
著書に、『パリでメシを食う。』(幻冬舎)、『パリの国連で夢を食う。』(イースト・プレス)、そして第33回新田次郎文学賞を受賞した『バウルを探して~地球の片隅に伝わる秘密の歌~』(幻冬舎)がある。