「あ!くちびる真っ青!」
小学校のプールの時間、そんな台詞を耳にしたことのある人は多いはずだ。
わあきゃあと声をあげ一斉に水の中に飛び込むと、クラスの中で大抵ひとりかふたり、真っ先に唇が青くなる子がいる。
それが、私だ。
そして今、私のくちびるは青く染まっている。
前方には、水しぶきをあげながら迫ってくる100人の老若男女と、彼らから逃げまどう鮭。
それらを迎え撃つ形で、猛然と水の中を突進している最中なのだ。
ことの始まりは、一時間前にさかのぼる。
文字通り「美味しい」祭があると聞きつけ、やってきたのは岩手県山田町。
その祭では、「新鮮な海産物が格安で販売」され、「それらを味わうことのできる食堂コーナー」があり、その上「特設プールでの鮭のつかみどり」までできるという。
新鮮な海産物、好きです!
でも、鮭のつかみどりは、もっと好きです!!
というわけで、品川から深夜バスに乗り込み11時間。さらに地元のバスに乗り換え10分。
それらの時間の大半を、鮭をつかむイメージトレーニングに費やし(主に夢の中で)、心と身体の準備を万端に整えた私は、意気揚々と会場に到着したのだった。
祭会場は、三陸海岸に面した魚河岸の建物だった。
「やまだの鮭まつり」
と大きく記された看板を確認して中に入ると、祭り開始から15分ほどしか経っていないはずなのに、すでに会場はたくさんの人で賑わっていた。
鮭まつりの名にふさわしく、入ってすぐに、ずらりと吊るされた新巻鮭の干物が目に入る。どれもこれも、とにかく大きい。下手したら小柄な猫をゆうに凌ぐサイズである。片手で持ち上げてみたら、思わず歯をくいしばってしまうほどの重さだった。鼻先は尖り、口には鋭い歯が並んでいる。
つかみどり用の鮭は、ここまで大きいなんてこと……ないよね。
ふとそんな考えが頭をよぎる。イメージトレーニングでは、鮭はもうちょっと小さめのはずだった。
ともあれ、ここまで来た限り、やるしかないのだ。
鮭つかみどり参加の列には、早くも大勢の人が並んでいた。みんな、100名の参加枠を本気でとりにきているようだった。
血気盛んそうな若者もいるけれど、多くは子供連れのお母さんやお父さん。シニア世代もちらほらいた。同志たちの顔ぶれを見て、少しホッとする。
その横には、戦場となる15メートル四方のプールがあった。
「敵を倒すには、まず相手を知るべし!」
と、軽快なステップでプールへと走り寄ったものの、すぐに重い足取りで引き返してくることになった。
そう。反射する水面の中にいたのは、先ほど見た干物と同じサイズの鮭達だったのだ。
そりゃあみんな朝早くから行列しにくるはずだわ……
参加料たったの千円で、希少な体験と、これだけ大きな鮭が手に入るのだもの……
そんな周囲の盛り上がりとは反対に、私のテンションはだだ下がりしていた。
「つかまえられるのか……やつらを」
生きた魚を手づかみするどころか、釣りすらしたことのない私が。
水族館の「ふれあいコーナー」で、ヒトデをつかんだことがあるだけの私が。
池で鯉にエサをあげていて、足を滑らせ自分が鯉のエサになりそうになっていた、この私が!!!
その瞬間、岩手に来る前に先輩に言われた言葉がよみがえってきた。
「ライターとしての運を『持ってる』かどうかは、鮭をつかまえられるかにかかってるよ」
……そうだ。この日のために、何度もイメージトレーニングを重ねてきたんだ。
鮭をつかむときの、腕の動き、腰の入れ方。つかまえたあとの、満面の笑顔。
出発前夜に近所のコンビニを5つもめぐって、一番滑りにくそうな軍手だって入手した。服装も、動きやすくてすぐ乾くものにこだわった。水に濡れたままじゃ、寒さで動きが鈍るからね。
つかむ……!絶対につかんでやる!!
―ライターの名にかけて!!!
エントリーを済ませ、支給された胴付長靴と、黄色のハチマキを身につける。軍手も配られたけれど、イボイボのついていないシンプルなものだったので、用意してきた最強の軍手(←私基準)を装着した。
装備はこれでバッチリだ。
黄色のハチマキを巻いた戦士たちの姿は、プールのある一辺に集中していた。
鮭がそちら側に固まっていたからだ。もはやそこに私の入り込めるスペースなどなかった。こうなったら、反対側から攻勢をかけるしかない。対岸にスタンバイし、鮭に神経を集中させる。
その時だった。
「お姉さん、鮭、取りにきたの?」
声の主は、一眼レフを首から下げた年配男性であった。
「はい!初めてなんです!絶対につかみ取りたいんです!」
「簡単だよ。端に追い込んで、こうして、尻尾をつかんで、ひょいだ」
元警察官だというそのおっちゃんに、身のこなしかたの講習を受けた。
鮭の身は、ヌルヌルしていてとてもつかめない。唯一つかむことができるのは、尾ひれの根元だけだ。
壁際や角に追い込んで、すかさず尻尾をつかんで持ち上げる。
「対岸の人達に、全部とられちゃったらどうしましょう……」
と不安をもらすと、
「大丈夫。鮭だってつかまりたくないんだ。全力でこっちに逃げてくるさ」
彼はカメラを私に向け微笑んで、ぱしゃりとシャッターを切ったのだった。
寒さと緊張ですっかり顔色が青ざめてきた頃、スタートの合図である鉄砲が天高く掲げられた。
いよいよだ。心臓の鼓動が高鳴る。
「応援してるからね」というおっちゃんの言葉が頼もしい。
パァン!パァン!!
戦いのゴングが鳴り響いた。
制限時間は3分間だ。
聞くが早いか、水の中に勢いよく飛び込む。
「鮭~~~~~~~~!!!!!!!」
水しぶきがいくら高く上がろうと、気にせず猛ダッシュ。
おっちゃんの言った通り、鮭達は一目散にこちらに逃げてきた。
角に……追い込んだ!
尾ひれを……つかむ!!つかめない!!!!
最初のアタックは失敗。
間髪いれずに挑戦するも、またも失敗。
……速い。何というスピードだ。
がく然としていると、すぐそばからおばちゃんの声が聞こえてきた。
「ひざで挟むの!ひざで!こう!!」
顔をあげると、見物人のおばちゃんが、ジェスチャー付きで鮭のつかまえかたを指南してくれている。鮭を、ひざの間に挟めということのようだ。
おばちゃんに小さくうなずくと、すぐに次の獲物にとりかかった。
足の間をすりぬけようとする鮭を、逃さぬものかとひざを閉じる。
……かかった!
尻尾をつかんだその瞬間、
ぐいっ
鮭にひっぱられ、私は水の中をスライディングしていた。
ギャラリーから「ああーっ」という声が上がる。
こんなことは想定内だった。
がしかし、もう黙っちゃいられない。いいかげん捕まえなければならない。
そもそも「つかみ取る」より他に、私に選択肢はないのだ。
腹に力をいれる。獲物を狙い定める。
鮭ににじりより、素早い動きでひざを閉じ、腕を振る。
その姿は、朝の光の反射する川の水面で、鮭をとらえる熊さながらだったに違いない。
「獲ったー!!!!」
片手に鮭をとらえて、カメラに向かって振り返る。
同じくびしょ濡れになったカメラマンが、その瞬間をしっかり記録してくれていた。
写真に写った私の顔は、満面の笑顔とはほど遠い、おっかなびっくりした間抜けな表情になっていた。
なにごとも、想像した通りにはいかないものだ。
達成感と共にプールからあがると、興奮状態から冷めたからか、急に寒さが襲ってきた。
服を着替え、温かい食べ物を求めて戦場をあとにする。
新鮮な鮭をふんだんに使った鮭汁は、冷えた身体に心地よくしみ込んだ。
目の前で網焼きされた牡蠣とホタテは、食べた直後に追加購入。
鮭汁も牡蠣もホタテも、ひとつ100円という破格である。私の寒々しいお財布状況でも、心ゆくまで食べることができた。
「ここが一番美味しいんだよ」と地元の漁師さんに勧められて、焼いた鮭の皮も食べてみた。
最初は半信半疑だったが、ひとくち噛むと口の中に甘みが広がって驚いた。外はパリッと、中はモチモチしていて、食感もいい。
「美味しーい!!」
「だから言っただろ?」
「鮭のつかみどりも初めてだったけど、鮭の皮をこうやって食べたのも初めてです!」
「おっ、つかみどりしてきたの」
なんて会話が盛り上がり、いろいろと話を聞いていると、実は震災前まで鮭のつかみどりは「織笠川」をせきとめて行っていたということを知った。
もともとこの祭は、毎年秋から冬にかけて織笠川に戻ってくる鮭を町の風物詩にしようと始まったもの。そのため震災前までは織笠川の河川敷が会場となっていたけれど、現在は川の周辺の道路の復旧工事中であるため、10月に再建されたばかりのこの魚市場での開催となったとのこと。
「工事が終わったら、また織笠川でつかみどりが開催されるんでしょうか?」
と尋ねると、
「うーん、鮭が戻ってきてくれるかどうか次第だねぇ」
と、達観したような答えが返ってきた。
川に放流された鮭をつかみとるなんて、想像しただけでワクワクする。
プールでさえ、あの大興奮である。
……鮭よお願い、戻ってきて!
君たちが織笠川に戻ってくるころ、私もここに戻ってくる!!!
その時まで、より迫真のイメージトレーニングを重ねてくるから、よろしく頼みます!!
ライター 坂口直
1985年、東京都生まれ。
大学卒業後、海外特許取得に係る手続きの代理業に5年間従事。
初めてアジア以外の海外を訪問した際、異文化の面白さを感じ、まだ見ぬ人や文化に出会いたいという思いが芽生えるようになる。
その思いを遂げるべく、2013年春よりフリーのライターとして活動開始。現在はWeb媒体を中心に活動を広げている。