雪山に入ってからが、舟山さんの本領発揮だった。
雪なんてあってなきがごとく、グングンと山を登っていく。
僕はと言えば、5分もすると熊を追跡することより、自分との対話に集中し始めていた。
「途中で疲れたから帰りたいとか言えない雰囲気だけど、大丈夫だよね、俺?」
まるで、花びらを一枚ずつ千切るように「大丈夫だ」「いや大丈夫じゃないかも」と自問自答を繰り返す。我ながら軟弱!
でも想像してみて欲しい。山ガールや山ボーイにとっても、雪山登山は難しいはず。
その上に、何度も強調するけど、歩むべき「道」はない。
一歩を踏み出すたびにズボッ、ズボッと雪に埋まる足を引き抜くだけでもヒーヒーもんだ。
舟山さんに借りた木の棒を杖にして、周囲に生えている木々を掴みながら、身を持ち上げる。あっという間に汗だくになった。
気づけば舟山さんは遥か彼方。それでも時々、振り返って僕を待ってくれている。
せめて足手まといにはならないように(既になっている)、僕は黙々と、いや、ヒーヒーと山を登り続けた。
そうしてしばらくしたら、最初の休憩が待っていた。舟山さんは、「ふーっ」と一息。
まるでハイキング、高原って気持ち良い! といった風情である。
一方の僕は、タヌキの毛を尻に引いて、荒れた息を整えた。
時計を見たらまだ30分ぐらいしか歩いていなかった。気が遠くなる。
だから、舟山さんがなにげなく言った言葉も危うく聞き逃すところだった。
「滑らないように気をつけて。その先に落ちたら危ないよ」
むむ? よくよく見たら、僕が座っている場所の数メートル先は、斜面が途切れ、切り立った感じになっている。
僕が尻に敷いているタヌキの毛は温かいけど、いかにもツツーッと良く滑りそうだ。
このまま滑り落ちたらマタギに密着どころか、山岳救助隊に密着されることになる! と気づいたら一気に汗が冷えた。
安全なところに場所を移動して、再び舟山さんの話を聞く。
――俺は生まれからずっとここで、10代目。猟の方法は、ずっと昔に秋田から来たマタギに習ったって言われてるね。だから、この飯豊山の麓に秋田ってつく場所がけっこうあるんだ。
山の親方は「山先」っていうんだけど、その人が一番の親方で、指揮をする人がムカダテ。ムカダテが、お前のところに熊が行くぞとか、撃てとか指示をする。撃ち手はシバ(草木)を立てて、熊から見えないようにして待つんだけど、どこから出てくるかわからないから、ちょっと不安なんだよね。
熊を待つ時は、動かないようにして3時間でも待ちますよ。それでもこない時もあるけどね。
昔は、熊が手の届くぐらいの位置にくるまで待ってから撃ってました。どこまで待っていられるかが勝負。
昔、熊が1メートルぐらい先に来た時に、玉が弾けなくてさ、これはやばいなと思ったんだけど、熊が脇に逃げてくれて助かった。
今は人数も少なくなったんで、ライフルで撃ってます。
ライフルなら300から500メートル先まで撃てる。
埼玉に射撃場があって、毎年春にそこに練習に行くの。
これまで獲った熊の数は、年の数(71歳)じゃきかないよ。
今までとった一番大きな熊は、250キロぐらい。これもライフルで撃った。
250キロもあると、ばらしても7人から8人ぐらいじゃないと背負えないんだ。
熊を獲った時には、心臓を十文字に切って、山の神様にどうもありがとうございましたって礼を言う。
それから肉を分ける。
今はいろいろ難しいけど、昔は生でも食べたもんです。
一番美味しいのは内臓。みの(心臓)を刺身にして食べます。
あと、心臓を守ってる横隔膜に、血がたまるんですよ。それをほんの少しだけ生で飲む。牛乳みたいだよ、脂っこくてね。あんまり美味しいとはいえないけど、身体に良い。
あと、昔は腹が痛いとか風邪を引いた時は、すぐに熊の胆(胆のう)を飲まされた。
干して乾燥したやつを、ぬるま湯に入れて溶かして飲むんですよ。これは二日酔いにも良く効く。
でも、今は熊の胆も売れない。
今は若い人ばかりだから医者の薬でしょ。
昔、胆を買っていた人はもう亡くなって、欲しがる人がいねえんだよね――
話を聞くと、舟山さんが古くから伝わるマタギの技法を知る最後の世代だということがわかる。
舟山さんは飯豊連峰の山を自由に歩き回ることができるし、動物の足跡を見たら、いつ頃、その足跡がついたのかもわかる。
山菜やきのこなど山で食べられるものにも精通している。
時代の流れなのかもしれないが、こういった伝統や知識が失われてしまうのは寂しいと思うのは僕だけだろうか。
それにしても、熊が「手の届く位置」まで来るのを待って撃つというマタギの矜持には、男として憧れる。
1メートル先に熊がいて弾が出なかったら、自分なら間違いなく、ちびる。
やっぱりマタギはすごいな。
そんな感慨に耽っていたら、あっという間に再出発の時。
舟山さんに疲れた様子はみじんもなく、スタコラサッサと山を登っていく。
僕はついていくだけで精一杯。
子どもの時に好きだった『おぼっちゃま君』という漫画で、主人公のおぼっちゃま君が疲労困憊した時に発する「ヒーコラヒーコラ、バヒンバヒン」という茶魔語が頭の中でこだまする。
そうしてまた30分ほど歩いただろうか。
二度目の休憩―と言っても舟山さんは双眼鏡で熊を探していて、休んでいるのは僕だけ―の時に、もう1つ、熊の足跡を発見した。
こんどは小ぶりだが、まだそんなに時間が経っていないという。
100キロ級の熊がなかなか見つからないので、舟山さんは越後屋のご主人と無線で話し合い、単独で新しい足跡を追うことに決めた(僕もいるけど)。
この時の舟山さんの表情を、僕は一生忘れないだろう。
振り返って僕を見ると、それまでとは全く違う声色で、こう言った。
「見つけたら、撃つからな」
そして人差し指を唇に当て、
「熊に気づかれるから、これからは静かに」
と告げたのである。
この時、完全に舟山さんの目の色が変わっていた。これがマタギの頭領の「本気の顔」なのだ。
狩猟の民のスイッチが入った舟山さんは、山を歩くスピードを上げた。
しかも、今度は登りも下りもあって、僕との距離は開くばかり。こうして何度か姿を見失いそうになりながら、冒頭に記したように、「熊の足跡を追う舟山さんの足跡」を辿ることになったのだ。
そういえば、今回初めて知ったのだけど、雪山にいるとあちこちで「がさっ」「ごそっ」と音がする。雪の重みで倒れていた草木が何かの拍子で立ち上がったり、木の上の雪が落ちてきたりしている音なんだけど、それがいちいち僕を驚かせる。
舟山さんは確信を持ってズンズン進んでいるけど、熊は賢いと聞く。
万が一、何かの間違いで、山の弱者である僕のそばに熊が現れないとも限らない。そんなことを考えているうちに、疲労が限界を超えたのか、恐怖心とのミックスが効いたのか、脳内麻薬=アドレナリンが出たようで、それまでの辛さがウソのように足が軽くなった。
間もなくすると、舟山さんが倒木から何かをむしり取り始めた。
よく見れば白いキノコで「かのこ」と言うらしい。
地元では胡桃和えにしたり、味噌汁に入れて良く食べているそうだ。
狩の最中でも、山の幸を収穫することを忘れないんだなぁとまた感心。
持参したビニールに「かのこ」をたっぷり詰めると、舟山さんはまた熊を追い始めた。僕も舟山さんにくらいついていく。
アドレナリンの影響で辛さは感じなくなっていたけど、足元は当然のようにおぼつかない。
一度、斜面を下っていて足を取られ、ずざーーーーっと数メートルも滑り落ちた時、その間抜けな姿を見た舟山さんは、冷静に指摘した。
「降りるのは早いね」
座布団ならぬ、タヌキの毛皮を一枚進呈したいぐらいのナイス突っ込み。
僕がこんな感じで騒がしくしていたせいか、結局、熊を見つけることはできなかった。足跡はあったのだけど、舟山さんの見立てでは山の奥に入り込んでしまったようだ。
素人の僕が同行している状態で、山の奥に入り込むのは難しい。舟山さんは近くでさらに別の熊の足跡も発見したが、今回は収穫ナシで山を降りることになった。
舟山さんが銃を構えて「ズドーンッ」とやるところを見たかった僕としては残念無念。何もしていないどころか、完全な足手まといのくせに収穫ゼロに肩を落としていた僕を、舟山さんは慰めてくれた。
「1日で熊の足跡を3つも見つけるなんて、滅多にあることじゃないんだぞ」
聞けば11月15日から2月15日までの狩猟期間で、4、5頭の熊が獲れれば良いそうだ。それなら足跡3つでもラッキーだろう。
車を停めていたところに戻り、雪の上に座って舟山さんと弁当を食べた。
お握りを頬張りながら色々と話を聞いたけど、印象的だったのは、次の言葉だった。
「3回ぐらい、ひとりで熊を獲ったことがある。
そういう時は仲間を呼んで、平らに分配します。それで、みんなで夜、酒飲みして。マタギはみんな平等なんだ。一番は仲間作りなんだよ。
年の差も関係なく、誰でも気軽に話せるからね、山に入れば。
誰も気を遣ってないし、自分の兄弟みたいなもんです。
山には頼まれて行ってるわけじゃなくて、自分が好きで行ってるからね。気晴らしもあるし。何も考えなくても良いじゃん。
ここにいれば四季を楽しんで暮らせる。自分で山菜採ってきたり、きのこを採りに行ったりしてさ」
「マタギ」と聞くと、どうしても特別な存在に感じてしまうけど、当事者にしてみれば、狩猟は仲間作りであり、気晴らしなのだと知って、なんだか清々しい気分になった。
きっと、狩猟を日々の糧にしていた大昔のマタギも、根本的には変わらないのだろう。
厳しい自然を相手にしながら、仲間と協力して獲物をとり、肉を分け、酒を酌み交わす。それが長年受け継がれてきた狩猟の民の喜びなのだ。
一通り話を聞き終わったところで、気づけば13時過ぎ。
朝から4時間近く山を歩き回ったことになる。山に入った時は不安で一杯だったけど、まさにあっという間だった。
船山さんのおかげで、マタギの文化や風習の一端に触れることができて、感無量である。
最後に「ありがとうございました!」と言うと、舟山さんがリュックからビニールを取り出し、先ほど採った「かのこ」をゴソッと掴んで、僕に渡してくれた。
「持って帰りな。これで収穫ゼロじゃなくなっただろ」
この時の舟山さんの笑顔を見て、頭領のでっかい器を実感した。
そして、ほんの0.1%ぐらいだけど、小国マタギの一員になれたような気がした。
ライター 川内イオ
1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。