足跡を、追いかけていた。
山形と新潟の県境にある飯豊連峰の山の中で、僕はゼイゼイと息を切らしながら、雪面に残る足跡を必死で辿っていた。
そんなところで何をしているのかって?
説明しよう。
突然だけど、「マタギ」をご存知だろうか。
マタギとはかつて東北の山中で熊や鹿などを狩って暮らしていた狩猟の民のことで、山と山に生きる動物を熟知するハンターの集団である。
数十年前まで狩猟で生計を立てていた彼らの伝統と風習は今も秋田や山形の一部地域で受け継がれている。
そして今回、「未知の細道」の栄えある第一回目として、マタギの郷として知られている山形県の小国町でマタギの頭領を務める舟山堅一さんに密着取材をさせてもらうことになったのだ。
ちなみに、なぜ唐突にマタギなのかと言えば、もちろん、日本の伝統と文化を後世に伝えるため! でもあるけど、僕が以前、マタギを描いた名作小説『邂逅の森』を読んだ時に、熊狩りに挑む彼らの勇壮さや山の神を信仰するにする独特の思考法に「カ、カッコ良い…」とシビれ、マタギの世界を体験したい! と熱望したから、というのが真相である。
さて、待ちに待った今秋の狩猟解禁日は、11月15日。その2日後の17日、舟山さんとともに雪山に分け入って、この秋初めての狩りに同行させてもらった。というわけで、僕は一歩を踏み出すたびに膝まで雪に埋まる山中で、足跡を追跡していたのである。
何の足跡? 舟山さんのです。
現在34歳の僕には、現在71歳の舟山さんが老人ではなく超人に見えた。
登山道など存在しない自然のままの雪山の急斜面をスイスイと登り、軽やかに下っていくからだ。50年のマタギキャリアは、伊達じゃない。
一方の僕は、アウトドア派に勘違いされるインドア派の文系で、本格的な登山経験はゼロ。そんなやつがマタギの頭領に密着しようなどおこがましいにもほどがある!
というお叱りの言葉が聞こえてきそうだけど、そういう人間こそワイルドライフに憧れるものなんですよ、いやほんと、なんて開き直っている間にも、先を行く舟山さんの背中がどんどん遠ざかっていく。
携帯電話の電波はゼロ、もしここではぐれたら……と思うと肝が冷えた。迷子も怖い。でももっと怖いものがあった。
舟山さんは、熊の足跡を追っていたのだ。
もし一人で熊と遭遇したら、どうしよ?
僕が東京を出発したのは前日の夕方。
東京駅から山形新幹線で2時間の米沢駅で下車し、レンタカーを借りて小国町に向かった。
マタギの郷までおよそ1時間半のドライブ。マタギの頭領に会える! と朝から興奮しっ放しの僕は鼻息荒く車を走らせていた。
そうしてカーナビが「目標地点まで間もなくです」と話しかけてきたところで、ふと我に返った。
「間もなく」と言うわりに、その道は僕がレンタルした軽自動車が1台通るのがやっとの狭さで、Uターンすらできそうにない。
前にも後ろにも他の車はいないし、外灯もない。挙句の果てに、霧が出てきて数メートル先も見えない。
こんな道が宿に通じているのか?
そう案じながらソロソロと前進していたら、カーナビが爽やかに告げた。
「目的地につきました」
……何もない。確実に、前後数十メートルにわたってくっきりはっきり何もない。
車を降りると、東京では感じないような鋭い冷気を含んだ風が首筋をなでる。頭の中で、火曜サスペンスのテーマ曲が鳴り響く。急に不安になり、誰もいないのに火サスの帝王、船越英一郎ばりに周囲に視線を走らせ、眉間にしわを寄せながら助けを求めた。
「もしも~し、道に迷っちゃったんですけど」
宿に電話したのである。
女将さんと話をすると単純なミスで、最後の分かれ道で間違った方向に進んでしまったらしい。
僕がいる場所から宿まで近いとわかり、来た道をひたすらバックで戻った。人生最長のバックだった。
さて、今回宿泊したのは民宿「奥川入」。
この宿を選んだ自分を褒めてあげたい。
まず雰囲気が良い。
玄関を入ってすぐの大広間には大きな熊の毛皮や鹿の頭蓋骨が飾ってあって、昔話の世界に迷い込んだような気分になる。宿のご主人、横山さんもマタギなのだ。
地元の食材をふんだんに使った料理も絶品!
アケビの中に味噌で炒めた地鶏や舞茸を詰めた郷土料理は、皮ごとガブッとかぶりつくと、程よい苦味と味噌が口内でふわっと広がる。
塩麹に漬けた山形地鶏は、歯応えがあって味が濃厚! 地元のワラビ&くるみをたっぷり載せた厚焼きピザは、女将さん自慢の逸品というだけあって、ピザ専門店レベルの味わいだ。
ちなみに夕食に出てきたもののうち、ピザに使っている小麦粉、チーズ、膨らし粉以外は全て自家製か近隣の山で採ってきたものだというから驚きである。
そして熊汁!
現在、熊肉は福島の原発事故の影響で出荷制限がかかっているんだけど、今回は、原発事故の前に獲って冷凍保存されていた熊肉を特別に食べさせていただいた。
もちろん、人生初の体験。
ドキドキしながら食べてみた。
食感と味はほぼ牛肉。でも「野生」を感じさせる濃い肉の味がして、想像以上に美味い。噛めば噛むほど、味が染み出る。
改めて言おう。熊は美味い!
調子に乗った僕は貴重な熊汁をおかわりさせてもらい、まさに自分も熊のような腹の出具合になった。すっかりくつろぐ僕の姿を見て、宿のご主人は苦笑しながらこう言った。
「うちはたくさん食べても、食べなくても料金は変わらないから(笑)」
ごっつぁんです!
翌朝、目覚めてすぐに何気なく外の景色を見ると、よく晴れた空の下に清冽な景色が広がっていた。
宿の前の畑とその後ろにそびえる飯豊連峰が真っ白な雪化粧をまとう。
コンクリートジャングルの東京とはまるで別世界。思わず鼻の穴と口を全開にして深呼吸した。
舟山さんとの待ち合わせは8時半。
しっかりとした朝食を頂き、いざ出発。
その前に、宿の女将さんからお握りが3つとおかず満載のボリュームたっぷり弁当を受け取った。
そう、「奥川入」は日本でも珍しい1泊3食付!
希望者にはお弁当のサービスがあるのだ。これで1泊6825円なのだから、お得としか言いようがない。
お腹も心もすっかり満ち足りた気分でチェックアウトした僕は、舟山さんと、舟山さんのマタギ仲間で民宿・越後屋を営むご主人と合流。
3人で山に向かった。
目的の山までは車で数分。
雪山どころか、ハイキングの装備すら何一つ持っていない僕は、舟山さんに呆れられながらも、諸々をお借りした。
まずは長靴を履いて雪駄を装着。腰にはタヌキの毛皮を巻く。
これは雪の上に座る時に尻の下に敷くものなんだけど、驚くほど効果抜群!
雪の水分や冷気を完全にシャットアウトしてくれる優れものだ。
舟山さんと越後屋のご主人は、万全の装備。
マタギと言っても、今は毛皮を身にまとったりはしない。
防寒、防水性の高いウェアを着て、連絡も無線で取り合う、まさに近代化された狩猟の民だ。
ライフルを肩にかけた2人は、一瞬にして目がキリッと鋭くなった。
聞くところによると、この時期の飯豊連峰では熊、野うさぎ、山鳥、てんが獲れるという。
熊については、前述したように現在は出荷制限がかかっているが、有害鳥獣に指定されており、小国地区では熊が増えていることもあって今も変わらず狩りの対象になっている。
山に向かって歩き始めると胸が高まった。
とはいえ、いきなり獲物が現れるはずもなく、最初は雪道を歩きながらのんびりと話を聞いていた。
舟山さんもリラックスした様子で、
「冬眠が近いから、熊はだんだんに自分の穴場に向かう。それがうまく見つかれば良いんだけどね。
縄張りがあるから、昔から熊のいる場所は決まっているみたいなもんで、通り道もだいたい決まってる。熊も歩きやすいところを歩くんだよね。
マタギは、50年前は30人ぐらいいたけど、今、鉄砲を持ってるのは14名。昔は大勢で狩に出たけど、今は仕事や生活もあるから、一緒に狩をするにしても6、7人、多くて10人ぐらいかな」
なんて解説をしてくれていた。
しかし、歩いて10分もしないうちに、舟山さんと越後屋さんの表情が変わった。
見つけたのである。
マタギにとって最大の獲物である熊の足跡を!
しかも、かなりでかい。舟山さんの見立てでは、100キロ以上ある4、5歳の熊。
2人はその場で話し合い、二手に分かれてこの熊を追うことに決めた。いきなりの展開に僕のテンションもヒートアップする。
熊を狙う時は、マタギの長年の経験から熊がどこに向かったかを予想し、無線で連絡をとりながらその地域を絞り込んでいく。
僕は舟山さんの後についていくことにした。
しばらく雪道を歩き、舟山さんが「じゃ、ここから入ります」とツアーガイドのように気楽に指差したのは、雪深い山の斜面。
道なき道を突き進む雪中行軍がスタートした。
熊を追跡!小国マタギ密着記![後編]に続く
ライター 川内イオ
1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。