魔法に秘密。まるでハリーポッターのようなタイトルである。しかし、今回は本当にハリーポッター的な世界なのだ。舞台はホグワーツの魔法魔術学校ならぬ、茨城県つくば市にある国立科学博物館の筑波実験植物園である。
秋葉原から電車で45分、つくば駅に降り立つと、春らしいぽかぽかした陽気が気持ちよかった。駅ビルでサンドイッチを買い、バス停へ向かう。
お目当ては、ある毒草、マンドラゴラである。
これほど、伝説や言い伝えに彩られた植物も珍しい。一説によれば、根っこから引き抜こうとすると「ぎゃー!」とおぞましい叫び声を上げ、それを聞いた人間は、なんと死んでしまうのだ。
実際にマンドラゴラにはアルカロイド系の毒があり、太古から媚薬、毒薬、麻酔薬など様々な目的で使われてきた。そのためか、古くは旧約聖書の「創世記」、近年ではハリーポッター、さらには漫画「のだめカンタービレ」と幅広く古今東西の作品に登場してきた。心底恐れられつつも、どこかで愛されてきたのである。
市街地を走るバスに乗り、十分ほどで下車。筑波実験植物園のこじんまりとした受付棟を通り抜けると、急に緑の香りに包まれた別世界が広がる。
わあ……と空を仰いだ。世界一高い木のセコイアやマロニエが美しいプロムナードを形作っている。キラキラとした木漏れ日の中を進むと、草原のような場所が現れ、ピクニックテーブルが置かれている。奥の方には魅惑的な小道が伸び、どうやら林や池に続いているようだ。そして左手には、巨大なガラスの温室群があった。
ピクニックテーブルに腰をおろすと、サンドイッチの包みを開けた。柔らかな日差しとかすかに吹く春風がなんとも気持ちいい。
広げた本は、澁澤龍彦の「毒薬の手帖」。初めて読んだのは高校生の頃だったが、「毒草の王者」、マンドラゴラのことは、はっきりと記憶に残っていた。
本の中でとりわけ目を引くのは、気味の悪いスケッチだ。人間の裸体が描かれているのだが、首から上には数枚の大きな葉っぱが放射線状に伸びている。葉っぱが人の頭に見えなくもない。実はその絵が表す通り、マンドラゴラの根っこは、しばしば人間の体の形にそっくりに育つらしいのだ。例の呪いの叫び声とこのヒト型の根っこが相まって、中世の人々はこの植物を引っこ抜くことを極端に恐れた。あまりに恐れすぎて、犬を訓練して引っこ抜かせたとさえ伝えられている(かわいそうな犬は、叫び声を聞いて死んでしまうのだ!)。
さらにいくつか他の植物図鑑をひもといてみると、やはりマンドラゴラは、「魔法の薬草」とか「魔女の薬草」とも書かれている。中世ヨーロッパでは、毒と薬はまさに紙一重で、「魔術師と医者と毒薬使いの区別さえない時代」(「毒薬の手帖」より)。錬金術師や魔女がこぞってこの植物を求めた。
さて、わざわざここまでやってきたのは、もちろん読書やピクニックをするためではない。筑波実験植物園は、なんとこの魔法の薬草を実際に育てているのだ。しかも今年二月には、初めて花が開花したと聞く。日本での開花例は非常に少なく、筑波実験植物園としても初の快挙!そうと聞けば、来ずにはいらない!
伝説の毒草は、実際にはどんな見た目をしているのか。
引っこ抜くとき、どんな呪いの叫びを発するのだろうか。
ガラスの温室の一角で待っていてくれたのは、「蘭が専門なんですが、植物に関することはなんでもかんでもやってます」という研究職の遊川知久さん。そして実際にその手でマンドラゴラの世話をしていたという温室担当の小林弘美さん。
小林さんは、四年前からマンドラゴラを育て始めたが、最初の三年間はあまり大きく育たず、花はつかなかった。
「やっぱり、難しいんですか?」と私が聞くと、「まあ、咲きにくいタイプかもですね」とにっこりと笑顔で答えた。
遊川さんによれば、マンドラゴラは日本の環境が好きじゃないそうだ。
「マンドラゴラのお里は、ヨーロッパの地中海沿岸なんです。あそこらへんは、夏が乾燥しているのですが、日本は高温多湿なので、夏に枯れちゃうんですよね。それに地中海沿岸は冬も温かいので、マンドラゴラはけっこう寒がり。だから、寒さから守ってあげないと、うまく育たないんですね」
ふむふむ、湿気が嫌いで、寒がりなんですね(私もです!)。すると、小林さんがこう付け加えた。
「だからと言って、あんまり甘やかさないことですね。肥料たっぷりとか、お水たっぷりとかそういうことはなくて、水は土が乾いたかなと思ったらあげる。肥料も活動期に入ったらあげるという感じで」
なるほど!いつの間にか、二人がマンドラゴラの優しいお父さんとお母さんに見えてきた。
そしてみんなに見守られて四年目、ついに一株だけ紫色の花をつけた。
「やったあ!」とスタッフは大喜びをした。しかし、花が咲いているのは長くても数日限り。地元の新聞が開花を報じると、歴史的な大雪の翌日だったにも関わらず、「それ、急げ」とばかりに驚くほどたくさんの人がつめかけた。
日本でこの植物を一躍有名にしたのは、あのハリーポッターだろう。ホグワーツ魔法魔術学校では、薬草学という授業の中でこの植物を栽培している。生徒達が厳重に耳当てをして、おそるおそる引っこ抜く場面が出てくる。ある魔法を解くための秘薬の原料になるとのことらしい。
このように、マンドラゴラは引き抜く時こそ恐怖だが、いったん手に入れられれば、恋を成就させたり、受胎を促したり、未来を予言したりという超自然的な力を手に入れられると信じていた。
そもそも、この植物園はどうしてマンドラゴラを手に入れたのだろうか。まさか、やはりマンドラゴラの魔法にあやかるため!?
「いやあ、別に大きな野望があったわけではないんだけど、ここは世界中の植物を見てもらって、植物の面白さを感じてもらう場所なので、そのひとつのネタとして手に入れました」(遊川さん)
確かにパンフレットにも「多様性を知る・守る・伝える」とある。その言葉通り、ここでは、約7000種類の植物を育てていて、そのうち約5000種が温室にあるそうだ。
ということは、マンドラゴラ以外にも、さぞかし珍しい植物があるんでしょうね!
「色々ありますよ。そうしたら、ちょっと温室に行ってみますか」
ぜひ!肝心のマンドラゴラも、温室の中で育てられているらしい。というわけで、さっそく温室を案内してもらうことになった。
最初に入ったのは、「サバンナ温室」。中には、温室の天井から春の日差しがさんさんと差し込んでいる。「気持ちがいいですねえ!」と、私はガラスごしの青空を見上げた。
すぐに大小色々な形のサボテン達が迎えてくれる。ニョキニョキと空を目指すもの、地面の方で丸くなっているもの。花を咲かせているもの。
マンドラゴラを育てた小林さん。
日差しの中で嬉しそうなサボテン達に囲まれて。
「こういう日は、みんなとても楽しそう。ほら、サボテンたち、嬉しそうにしてますね」
とお二人は嬉しそうに言いあう。
「そういうの、感じますか?」
と私が野暮な質問をすると、お二人は「そりゃあ、もう!」と力強く言う。植物への深い愛情が伝わってくる。
ところで、ん? 何これ?
私は、白い糸に包まれたような物体を指差した。
「これもサボテンなんですか?ずいぶんホワホワしてますね」
「マミラリアという種類のサボテンです。こうやって日中の熱さをしのいでいるんですね。ほら、こっちにも面白い植物があるんですよ……」
と二人は別の植物を指差した。
思えばそれが、「序章曲」だった。幕が開いて始まったのは、千夜一夜物語のようなめくるめく植物の物語なのであった。
例えばそれは数十年に一度だけ花がさくサイザルアサ。古代エジプトで紙の原料となったパピルス。続くのは、甘い香りを放つバニラ。そして、血のような赤い樹液を出すリュウケツジュ。一日に数十センチも伸びるというキョチク(巨竹)。
「こちらです」と温室から温室へと誘われるごとに、植物の故郷に呼応するように体が感じる温度や湿度も変わる。砂漠から、熱帯雨林へ、そしてマングローブの森の中へ・・・。
それにしても、も・の・す・ご・い・多様性だ。
ひとつひとつの植物には固有のドラマや物語があるという。残念ながら、すべてを紹介しきれないので、ここでは特におもしろい植物達をハイライトでどうぞ!
まずは「見た目で勝負!」部門。つまりは、個性的な見た目の植物、勝手なベスト・スリー。
第三位は、じゃーん!
オーストラリアからやってきた「ボトルツリー」。その名の通り、超巨大なウイスキー・ボトルのようである。軽く叩いてみると、確かに水が入った樽を叩いているよう。
「お相撲さんが、取り組みの前にお腹を叩くでしょ。あれと同じ音がするんだよ!」(遊川さん)
オーストラリアからきたボトル・ツリー。
さて、第二位!南アフリカからエントリーした「ストーンプランツ」。
「ここにあります」
と指差された足下には、小石がゴロゴロしているだけ。あれれ・・、と思いきや、確かに妙な模様の物体が石に紛れている。そっと触るとまるでグミのよう。動物に食べられないために、頑張ってカモフラージュしているらしい。
ストーンプランツは、石の中でカモフラージュ。
そして、栄えある第一位は!?
まさにチャンピオン級。世界最大の花、ショクダイオオコンニャク!
インドネシア・スマトラ島の絶滅危惧種で、高さ3メートル以上になるという。見た目がスごいだけではなく、香りも強烈らしい。植物園のホームページによれば、「死体のような強烈な臭い」を放つ。劇的に開花した二年前は上野のパンダもビックリの大行列ができたそう。開花は数年に一度らしいので、ぜひ次の機会をお見逃しなく。
次のカテゴリーは、「個性的な名前シリーズ」。
まず、第三位はタビビトの木。旅好きにとっては、なんともロマンチックな響きだ。天をつくようにノッポで、温室の天井につきそうになっている。名前の由来は諸説あるが、茎に蓄えた水が旅人の喉の乾きを癒したからとか、葉っぱの向きで方角を知ることができたからとも言われるが、真偽のほどは定かではない。
タビビトの木は旅人たちの道しるべ。
第二位は、ミッキーマウスの木。どこら辺がミッキーマウスなんだろう、と花に近づくと、小さな黒と赤の丸っこい花びらがついていて、確かに角度によってはミッキーに見えるかも!?
「こんな名前じゃなかったら誰も注目しないですよね。明らかに名前で得してます!」(小林さん)
赤と黒のお花がかわいいミッキーマウスの木
そして、第一位は、南アフリカからやってきた、その名も「奇想天外」。
え、これ? ノッペリした長い葉っぱが、ぺたっと土の上に広がっているだけに見える。これが、そんなに「奇想天外」だろうか?
「この子は、泣いても笑っても一生で二枚しか葉を出さないんです。こんな変わった植物、他にいません!」と遊川さんが解説してくれた。二枚だけの葉っぱを、百年単位でゆっくりとマイペースにのばしていくのだそうだ。
「何しろこの子には、親戚がいないんです。いわゆる一科一属一種の生きた化石、シーラカンスみたいな植物ですね」(遊川さん)
名前が最高!奇想天外。
でも、変わっているのは名前だけではないんです。
それにしても、奇想天外とは何とも愉快な名前をもらったものだ。おかげで私も一生君のことを忘れないだろう。
さて、いよいよ肝心のマンドラゴラとの対面である。高校生の頃に初めて耳にしてからの、二十数年、感動の初対面に胸が高鳴る。
開花が終わったマンドラゴラは、現在は研究用の温室に移され、静かに育てられている。そこは、一般公開されていない、まさに秘密の温室だ。
入り口をあけると、その風景は壮観だった。
「うわー、すごいですね」
鉢に植えられた植物が、天井のほうまでところ狭しとひしめきあっている。もしここに中世の魔女がいたら大興奮すること間違いないだろう。
「はい、こちらがマンドラゴラです」
と指差した先には、十センチほどの小さなプラスチックの鉢植えがあった。
鉢植えには、数枚の葉がふわっと広がっている。今は花の代わりに、小さな黄色い実がひとつだけなっている。
これが、マンドラゴラ!
・・・えっと、あれ。けっこう地味で、素朴な見た目である。
「そうなんですよ!」
二人は、ニコニコと頷いた。
花の時期が終わった今は、黄色い小さい実がなっている。
どちらかといえば、かわいらしい見た目。あらゆる人を恐怖に陥れた伝説の植物、というオーラはゼロ。うーむ、公園に生えていたら雑草と見分けがつかないだろう。実際の花自体も、1センチたらずの可憐な紫色だったそうだ。
しかし、この奥底にすごい力を秘めているのだ、と私は思い直した。
「図説快楽植物大全」によれば、マンドラゴラはナス科の植物で、どうやらその根に含まれるスコポラミンという物質が陶酔と昏睡状態を引き起こし、ひいては「超自然へとの交信」を可能にしてくれるそうだ。スコポラミンを摂取すると、人は「陶酔の中で人魚に変身し、地面で泳いだり、跳ね上がったりする」らしい。そのすさまじい陶酔作用を利用して、古代ヨーロッパの魔女達はこの根をいぶし、自らの正気を失わせることで、予言をしたというし、また、この根の成分を配合した飲み物を飲んだ女性達は、情熱的な目で男性に襲いかかった(!)とも伝えられる。
そうだ、根っこだ!根っこを引き抜いたらどうなるのだろう。
「それで、引っこ抜いたらやっぱり叫ぶんですか?」と興味津々に聞いてみた。
すると、小林さんは、「植え替えとか普通にしてます!私、死んでないんで大丈夫です!」とチャーミングな笑顔を向けた。
やっぱりそうか、叫び声は伝説だったのか、とがっかりしつつ大笑いした。
しかし、可憐な見た目とは裏腹に、やはりマンドラゴラは毒草の王様である。根を口にすれば、きっと私たちは不思議な幻覚を見たあとに、コロリとあの世にいってしまう。だから、きっとマンドラゴラは、この先も世界を魅了し続けることだろう。
最後に、遊川さんが一番思い入れのある植物は何ですか、と聞いてみた。
さぞかしすごい植物が出てくるのかと思いきや、「これです!」と彼が指差したのは、20センチほどの植物。学名は、ノイウイーディア。
「見た目も、名前もけっこう地味ですね!」
と私が言うと、なんだか嬉しそうな笑顔になった。
「はい!コレ見ても、誰も喜びません!(きっぱり)でも、これは蘭の祖先なんですよ。ここまで育ったのは、世界でも例がほとんどないんです。タネだってほとんど誰もみたことがないというほど。育ってくれて嬉しいなあ!」
と我が子を愛でるように微笑む。
ノイウイーディア
そう、だから、この温室は奥深いのだ。見た目や呼び名が変わっていなくても、誰にも注目されなくても、そこにはオンリー・ワンの植物の物語が必ず待っている。
ここは、故郷を遠く離れた植物たちがひしめく楽園。元気に育ててやろう、植物達の物語を伝えようというスタッフの方々の愛に包まれて、伝説の毒草も奇想天外なシーラカンスも、おいしそうなハーブものびのびと生きているのだ。
こうして、一時間余りの千夜一夜物語は幕を閉じたのであった。
川内 有緒 ノンフィクション作家
日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。
その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。
2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。
書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。
著書に、パリで働く日本人の追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』他。
『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)で第33回新田次郎文学賞を受賞。