僕は、人の気配のない夕暮れの畑にいた。
沈みゆく太陽を前にして、携帯電話を握り締めながらため息を漏らしていた。
突破口が見えない調査に気落ちして、自問自答していた。
まだ続けるのか、もう諦めるのか。
「かつて、田んぼや畑にまでラーメンを出前していた」という山形の都市伝説を知ったのが10月。
それから1ヵ月後の11月半ば、今でも「田畑で出前ラーメン」が可能なのかどうかを調べ、可能ならぜひ体験したいと思った僕は現地に向かい、山形県米沢市の郊外にある広大な畑の農道に車を停め、ひたすらラーメン屋に電話をかけていた。
しかし、手応えがなかった。
僕の脳裏には漫画『スラムダンク』の安西先生の言葉が浮かんでいた。
「諦めたら、そこで試合終了ですよ」
きっかけは、1本の記事だった。
ある日、ネットサーフィンをしていたら山形のラーメンについて書かれたレポートに出会った。
「マイナビニュース」に掲載されていたその記事よると、山形県は人口当たりのラーメン店数全国一位、山形市は中華そばに費やす外食費が全国一位というラーメン王国で、「かつては、田んぼや畑にまでラーメンを出前していた」と書かれていたのである。
田んぼや畑に出前……この記事を読んだ時、僕の脳裏には農作業をしている老夫妻が、お昼時に畑の傍らに座り、フーフーハフハフしながらラーメンをすすっている姿が浮かんだ。
目の前に広がる一面の田畑と青い空。鼻腔をくすぐる香ばしい湯気。澄んだ空気の中でのんびり食べるラーメンって、なんだかめちゃくちゃ美味しそう……。
一瞬の夢想に浸った僕は、ふと疑問に思った。
「今はもう、畑や田んぼには出前してくれないのか?」
当然ながら、今も山形で農業に携わる人は大勢いる。
それなのに「田畑でラーメン」という魅力的な文化は、廃れてしまったのだろうか?
いやいや、きっと出前を頼み続けている人もいるだろう。それなら応じてくれるラーメン屋もあるだろう。この文化、今も受け継がれていて欲しい!
山形県人でもなければラーメン関係者でもないけど、とにかく「田畑でラーメン」を体験してみたい!という完全なる個人的な欲求に衝き動かされた僕は、覚悟を決めた。
俺が、確かめるしかない。
まるで、失われた文明が存在するのか確かめに旅立つインディ・ジョーンズのような昂ぶりを覚えながら、僕は車を走らせた。
どこに? 畑に。
山形の山中で別の取材を終えて米沢市に向かっていた僕は、中心部に入る5キロほど前の地点で、かなりの広さの畑が広がっているのに気がついた。
既に夕方で、畑には人の気配もない。ここなら怪しまれずに出前を待てる! と思い農道を目指したのである。
1つだけ、気になったことがあった。
山形市民は年間1万2061円もラーメンを食べている日本一のラーメン好きだ。
でも、トップ3にも入っていない米沢市では少し心もとない気がした。
でも、すぐに頭を切り替えた。
日本一の街よりも、別の街で現状を確かめたほうが真実味がある。
ラーメン大好き日本一の街ならパフォーマンスで出前してくれるかもしれないけど、別の街で出前をしてくれれば、それはきっと「日常」だ。あくまでそんな気がするだけだけど、僕は米沢のラーメン屋にかけることにした。
いざ、実証!
農道の脇に車を停め、持っていたi padで米沢市内のラーメン屋を検索。
いくつかのサイトに一覧が出て
きたので、上から順に電話をかけてみた。
ここで、いきなり躓いた。
最初の5軒ぐらいに電話して「出前やってますか?」と尋ねたところ、全店が「うちは出前はやってないんですよねぇ」という返答……。
田畑に出前どころか、出前自体やってない?
目の前の広々とした畑は夕暮れに染まり、非常に長閑な雰囲気だけど、僕の頭の中には暗雲が立ち込め始めていた。
それでもとにかく電話をかけ続けるしかない。
しかし、せっかく出前をやっているというところを見つけても「本当に近所だけなんで」と断られたりして、計10軒に電話して手応えゼロ。
もはや諦めるしかないのか。
僕は車を降りて、ゆっくりと伸びをした。
なんとなしに後ろを見ると、大きな月が出ていた。夕暮れ時に出ている月に気づくなんて、いつ以来だろう。
しばらくの間、キレイだなぁと見とれていたら、もう少し頑張るか、と思えた。
こんな感傷に浸っていても、頭の中はラーメンでいっぱいだ。
電話を再開した。
今度は「山形では、昔は田んぼとか畑にも出前をしたって聞いたんですが、今も出前を注文できるんですか?」と聞くことにした。
すると、いきなり突破口が開けた。
ある店の店長に「今、どこにいるの?」と聞かれて居場所を応えると、「うちではやってないけど、あそこならやってるんじゃないかな」と情報を教えてくれたのである。
僕は鼻息を荒くしながらお礼を言い、店名と電話番号をメモした。
お店の名前は「まるふじ食堂」。
今思えば、店の名前で検索をかければ色々と情報が出てきたのだが、その時の僕は「ついに情報を入手した!」という興奮で舞い上がり、すぐに電話をかけた。
誰も出なかった。トゥルルル、トゥルルルと20回ぐらい鳴らしても誰も出ない。
もう一回かけたけど、変わりなし。その日は日曜だったから、休日の可能性もある。
僕はガックリきて、もう帰ろうと思った。
山形のラーメン伝説は、あくまで伝説だった。
悲しいけど、それが結論だ。僕はどんよりした気分で米沢駅に向かって車を走らせた。
しばらくすると、右前方に唐突に「まるふじ食堂」が現れた。
情報をくれた店主が僕のいた場所から近場の店を教えてくれたことはわかっていたけど、まさか目の前を通るとは。
でも、お店は電気もついていなくて真っ暗だった。やっぱり休日だったか。
そんな残念な気分で店の前を通り過ぎようとしたその瞬間に、それは起きた。
なんと、店の電気がパッとついたのである。
僕は思わず、ハンドルを握りながら「おぉっ!」と声を上げた。
そして、思い立った。
時計を見たら17時。
もしかして、昼の営業と夜の営業の合間の休み時間だったんじゃないか?
それはあり得る!
ひとり自問自答した僕は、車をユーターンして意味もなく農道に戻った。
近場に車を停めて電話をすれば済む話なんだけど、まさかの展開に気が動転していたのだ。
振り出しの位置に戻った僕は、ドキドキしながら「まるふじ食堂」電話をかけた。
すると、今度は女性が出た!
僕は、はやる気持ちを抑えて質問した。
「山形では、昔は田んぼとか畑にも出前をしたって聞いたんですが……」
女性はこう応えた。
「あ、それうちですね」
この言葉を耳にした瞬間の僕の表情は、決して人様にお見せできるものではないだろう。
瞳孔と鼻の穴が一気に広がり、口までポカンと開いていた。
人間、本当に驚くとなかなか言葉がすぐに出てこないものである。
僕が「えぇっ!!」と言葉にならない声を発すると、女性が言葉を続けた。
「あ、父親の代の話なんで、もう20、30年も前の話ですけどね」
僕はまた「えぇっ!」と繰り返した。気分はジェットコースターである。
結局、ダメなのか? 単なる昔話だったのか?
僕は意を決して聞いた。
「じゃ、じゃあ、今はもう田んぼとか畑に出前はしてないんですか?」
女性は答えた。
「あ、2、3日前にも行きましたよ」
やってるじゃん! 僕が3度目の「えぇっ!」を発したのも仕方ないだろう。
ここでアタックするしかない!
僕は恐る恐る尋ねた。
「僕、今、お店のご近所の畑にいるんですけど、出前をお願いできますか?」
女性は「えぇ……」と戸惑っていたが、それはそうだろう。
お前は誰だ? なぜ畑にいる? なぜ畑への出前にこだわる? 近くにいるなら食べにくればいいのに、という話である。
そこで僕は、「今でも田畑に出前をしているのか知りたかった」ということ、「あるラーメン屋の店主が情報を教えてくれたこと」などを伝え、決して怪しい者ではございません! という怪しい人しか言わない言葉まで重ねて、「なんとか是非!」とお願いした。
すると、意味不明な情熱に根負けしたのか、女性は最終的に朗らかに笑いながら「良いですよ」と応じてくれたのである。
僕は思わず、どでかい契約を勝ち取った営業マンのように「ほんとですかっ!! ありがとうございますっ!!」と電話に頭を下げていた。
そうして待つこと数十分。
日が落ちて真っ暗な農道に佇んでいると、ついにその時がやってきた!
「まるふじ食堂」さんが車で現れたのである。
出前と言えばバイクを想像していたけど、雪深い山形では出前も車か、とひとり納得する。
東京から来たアホの依頼にわざわざ付き合ってくれたのは、調理の男性と電話で話をした女性。
まるふじ食堂の調理人の方。
本当に出前に来てくれたことを>証明するために畑の前で撮影するも、
背景が暗くて見えない…
その女性、実は女将さんだったんだけど、話を聞くと、お父さんが店を切り盛りしていた20、30年前はしょっちゅう田畑に出前をしていたという。
しかし最近では数えるほどで、近隣の顔見知りから出前の依頼があった時に届ける程度だとか。
ちなみに、食器の回収はどうするのかというと、普通の出前と同じようにその場に置いてもらい、後から回収するか、農作業の帰り際に、食器を店まで届けてくれるそうだ。
食べ終わったラーメンのどんぶりが田畑の脇に置いてあることを想像すると、なんだか長閑な気分になった。
そして、腑に落ちた。
事情を知らないよそ者からすると、「田畑に出前」は山形県民がラーメンが好き過ぎて生まれたものだと思っていたけど、実は地域の住民がみんな顔見知りだから可能な、「ご近所付き合い」から自然発生したものだったのだ。
そして、この古き良き文化は細々と、しかし確実に今も受け継がれているのである。
事件を解決したわけでもないけど、なんだか「めでたし、めでたし」という気分になりながら、僕は注文していた中華そばを受け取った。
食器は自分でお店に返しに行くことを約束してお代の550円を渡すと、女将さんと調理人さんは笑顔で帰っていった。
さて、と。
ついに待ちに待った「田畑でラーメン」だ。
って、真っ暗で何も見えないよ!
畑に街灯はない。
そんなこと、今までの人生で誰も教えてくれなかったよね。
僕はレンタカーのヘッドライトを頼りに、畑の脇に座った。
そして手にしたラーメンを眺めた。
山形の11月の夜は、かなり冷える。
普段、お店の中で目にするよりもくっきりはっきりと湯気が立ち昇っていた。
眼前の畑はもはやうっすらとしか見えなかったけど、なんだか風流だ。
思わず鼻の穴を全開にして湯気を吸い込むと、清く正しい中華そばの香りがした。こりゃたまらん! 早速、麺をすすり始めたんだけど、すぐにハッとした。
なんだこの開放感!?
ラーメン屋って普通はそんなに広くないから、だいたい隣の人と肩がくっつきそうな距離で食べることになる。
勢いよく麺をすすると汁が飛び散って、隣の人が読んでいるジャンプのページに染みがついたりするから、小心者としてはちょっと気を遣う。
それに、食べ終わったらすぐに店を出なきゃいけないような雰囲気もあるから、落ち着かない。
ところがどっこい、畑でラーメンを食べるとなんにも気にしなくて良いから、ゆっくりと時間をかけてラーメンを味わえるんだよね。
鼻歌を歌ったって良い。
それに、空気が澄んでるから、ラーメンもなおさら美味い。
僕は誰の目も気にせず、暗闇の農道でヘッドライトに照らされながら、鶏がらがしっかりと効いたラーメンを堪能した。
もちもちした麺にスープがよく絡んで、口の中に風味がフワッと広がる。
熱くてハフハフしていると、自分の息も闇夜に白く浮かんで消えた。
「田畑でラーメン」、間違いなく最高だ。
深い満足感に浸りながら、スープを完飲。
せっかくだから、でっかい声で「ごちそうさまでした!」と叫んで、畑を後にした。
傍から見れば完全に変人だけど、何しろ半径100メートル以内に人がいないから問題ない。
まるふじ食堂に食器を帰しに良くと、昭和の雰囲気を色濃く残す店内で常連さん達がくつろいでいた。
写真を撮って良いかと尋ねると、皆さん、いやいやいや、とテレていた。
きっと田畑に頻繁に出前に行っていた30年前も、こんな感じだったんだろうな。
まるふじ食堂の味のある店内。常連さんが集まっていた
僕はお礼を言って、店を後にした。
帰りの東京行き新幹線に乗った時、
「またあの畑でラーメンが食べたい」と強く思った。
※まるふじ食堂さんは現在、近隣の方からの依頼以外は田畑への出前は受け付けておりません
ライター 川内イオ
1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。