「鬼」
と聞いて、真っ先に想像するのはどんなものだろう。
真っ赤な顔に、二本の角、鋭い牙に、怒りに燃えた大きな眼……。
思い浮かぶのは、そんな姿ではないだろうか。
民話「桃太郎」に登場する鬼や地獄の鬼、果ては鬼嫁、鬼教師まで。なまはげや夜叉などもポピュラーな鬼のイメージのひとつかもしれない。
それらに共通するのは、彼らが決まって「恐ろしい」ものであるということ。
ところが青森県に、そんな鬼を神様として祀った神社があるという。
その周辺地域では、節分の日に豆をまかない。というか正確には、節分自体がそもそも存在しないというのだ。
日本中の子供たちが豆をまく様子をニュースが報じる中、その地域の子供たちは、どんな気持ちでその光景を見つめるのだろう。
現代の情報社会において、独自の文化を守り続けるのは簡単ではないはずだ。
彼らはそれをどのようにして、親から子へ、子から孫へと伝えてきたのだろうか。
その謎を解く鍵は、人々が語り、守り続けてきた、ある「鬼の伝説」にあった―。
――むがし、むがしのごどだ。
岩木山のふもとに、「ながねはだち」というところがあった。
ある日のごど、弥十郎づう若ぇ者が、岩木山のアソベの森さ芝刈りに行ったど。そうして弥十郎が芝刈ってたら、森の奥から鬼が出はってきたんだど――。
伝説の舞台は、「ながねはだち」。現在の地名は「鬼沢」という。
「津軽富士」とも呼ばれる岩木山のふもとに広がる、リンゴの生産が盛んな農村地域だ。
ここ鬼沢に、伝説の鬼を祀った「鬼神社」がある。
鬼沢へは、弘前駅前から日に10本程度、路線バスが出ている。東京で見慣れたものより少し小型で、お世辞にもピカピカとは言いがたい「レトロな」バスだ。
津軽弁の会話に耳をすませながら40分ほど揺れに身をまかせていると、景色は雪の残るリンゴ畑に移ろう。後ろにそびえる岩木山に目を奪われたら、そこはもう「鬼沢」だ。
無事に停留所で下車し、「ほっ」と吐いた息は、白い霧に変わった。
今回の取材には、鬼神社の氏子総代表である藤田湖一(こいち)さんと、地域のリーダーである神(じん)豊さんが同行してくれることになっていた。
なんとか迷うことなく、待ち合わせ場所にも到着することができた。
ほどなくして現れた2人は、作業服に身を包んだ中年男性コンビ。
彼らは私を見ると、目を丸くしてこう言った。
「あれ、長靴じゃなかったですか!」
その言葉にはっとして足元を見ると、スニーカーを履いていたのは私ひとり。
もしやとは思っていたが、やっぱり雪対策には長靴を履いてくるべきだったのだ。
しまったな、という顔をしていると、神さんが笑いながら言った。
「多分……大丈夫だと思います!じゃあ、明るいうちにさっそく見に行きましょう!」
かくして一行は、若干一名の足元の不安を残したまま、最大の目的地である「鬼神社」へと出発したのだった。
物語は、鬼の登場という緊張感あるシーンから、意外な展開を見せる。
――驚いている弥十郎に向かって、鬼は、「相撲とるべ」ってしゃべったんだど。弥十郎は動転したども、「とるべ」って楽しく相撲とったんだど。――
そう。実はこの鬼、全くもって「恐くない」のである。
鬼神社に到着した一行を出迎えてくれたのも、そんな鬼の性質を見事に表した、「あるもの」だった。
「あれを見てください」
神さんが指差したのは、入り口にある大きな鳥居。
中央に掲げられた扁額に、「鬼神社」と記されている。
「ほら、『鬼』という字にツノがないでしょう」
……ツノ?
不思議に思ってよく見てみると、その言葉の意味がわかった。
「鬼」という漢字に、「ノ」の形をした頭の点がないのだ。
言われてみれば確かにこの点、ツノに見える。
漢字は、その形に視覚的な成り立ちを持つ「象形文字」でもあるというが、そう言われると確かに、ツノのない鬼の姿に見えてくるから不思議なものだ。
鬼神社のことに詳しい藤田さんが、説明を加えてくれた。
「ここの鬼は、悪い鬼ではないんです。ツノのない鬼の字は、ここでは昔から『神様』という意味で使うんだそうです」
雪の残る参道を、慣れた様子の2人はずんずん進んでいく。
転倒が怖い私は、そろりそろりと後を追う。突き当たりを大きく左に曲がったところでようやく彼らに追いついて、足元ばかり見ていた顔をあげた。
視界に飛び込んできたのは、鳥居の奥にひっそりとたたずむ、鬼神社の本殿だった。
――「田さ水っこなくて困ってるんだ。このままだば、稲おがらねじゃ」
鬼と弥十郎が仲良く過ごしていたある日、事件は起きる。
弥十郎の村が、水不足に陥ってしまうのだ。
落ち込む友の姿を見て、鬼はこう言った。
「ワさまがせろ。でも、ワの仕事をしているどご、絶対に見ねんでけ」
ところが、2人がそんな約束を交わしたことなどつゆも知らない弥十郎の奥さんが、その晩、山へ行ってしまう。当然、そこでは鬼が働いていた。岩を担ぐ鬼の姿を目撃した奥さんは、驚いて村中に知らせてしまう。それを聞いた村人達は、家の中に隠れてしまった。
次の日外に出てみると、田んぼにたくさんの水が流れていた。鬼が一夜にして堰(せき)を作り、村に水を引いてくれたのだ。村人達は大喜び。
弥十郎はお礼を言うため鬼に会いに行ったが、そこに鬼の姿はなかった――。
鬼が去った後には、鍬とミノ笠が残されていたという。
そして、ここ鬼神社本殿に、その「鍬」は今も眠り続けている。
ご神体として本殿奥に厳重に保管されているのだそうだ。氏子でもない私は当然見ることができないが、氏子総代表である藤田さんでさえ、「怖くて見れない」という。
「ここに飾ってあるのは、農家の人たちが鬼神様に奉納したものです」
藤田さんが指さしたのは、本殿の軒下に飾られた鎌や鍬。身は黒く錆びつき、過ぎ去った年月の長さがうかがえる。近づいて見ると、それらはずいぶんと大きく感じられた。
「普通使うやつはこれの長さ半分ぐらいだの。これは鬼使うもんだってことで、でっかいはんでさ」
(写真左から)今回の取材に同行してくれた藤田さんと神さん
その他にも鬼の遺産は、地域のあちこちに現存している。
たとえば、鬼と弥十郎が相撲をして遊んだといわれる「鬼の土俵」。
杉が乱立する林の中でぽっかりと空いた円形のスペースだ。そこだけ何故か草があまり生えないのだという。
また、鬼が一夜で作り上げ、村を水不足から救ったといわれる「鬼神堰」。
この堰は、「逆堰(さかさぜき)」とも呼ばれ、低いところから高いところへ水が流れているように見えるのが特徴的だ。しかしそれは人間の目の錯覚で、実際はうまく勾配が取れているという。神さんが言うには、「自然とできたものではなく、誰かが人工的に作った痕跡がある」とのこと。
残念ながらこの2つの場所は、雪のため見ることができなかったが、残るひとつのスポットは、見に行くことができた。
鬼が腰かけたと言われる、柏の木だ。
その木は、ただ静かに、おごそかに、その場所に立っていた。
屋久島の杉に知られるように、よく、樹齢の長い木は不思議な気配を持つと言われるが、鬼沢の柏からもそれは感じられた。
樹齢約700年にもなるその木は、たくさんの支柱に支えられていた。
「もう歳だから、ひとりで立ってられないのさ」
藤田さんが、そんな柏の木を慈しむようにつぶやいた。
本業がリンゴ農家である藤田さんは、外で作業をするせいか、肌は黒く日焼けしている。渋みのある顔と高身長も加わり、その貫禄たるやなかなかのものだ。
しかしその時の彼は、旧友をねぎらうかのような、とても優しい顔をしていた。
柏の木を見た帰り道、私は藤田さんに尋ねてみた。
「藤田さんは、鬼の伝説は誰から聞いたんですか?」
「いろんな機会があっての」
「機会?」
「わ(私)の小さい頃はテレビなかったから、暗くなると何もすることがないんで、年いった人の話聞くこといっぱいあったのさ。寝る前によく昔話聞いたもの」
瞬間、私の脳裏に、お年寄りが枕元で語る昔話を、目を輝かせて聞く子供たちの姿が思い浮かんだ。
「へぇ!素敵ですね。藤田さんもお子さんやお孫さんに話してあげたりするんですか?」
「いや、今はめったにない。もうみんなテレビの時代だから……。子供はみんなひとりひとりで時間つぶすのさ。じっちゃんばっちゃんの話聞くことめったにないよ。うん」
そう答える藤田さんの横顔は、少し寂しげに見えた。
家のお年寄り達が話をしなくなり、次第に伝説を語れる者は減っていった。
しかし、子供たちに地域の民話を知ってほしいと、最近では、小学校に語り部さんがきて授業として伝説を学ぶようになったという。
「じゃぁ、今では語り部の方達が、子供たちに伝説を伝えていってるんですね」
藤田さんは答えた。
「それが、最後のひとりの語り部さんも、昨年亡くなってしまったんだ」
「こんばんはー」
「うぃーす」
「あー、外寒かったねぇー」
夜7時。
鬼沢のとある施設の大広間に、ひとり、またひとりと人が集まってきた。
小学生ぐらいの女の子から、茶髪の青年、ロマンスグレーのおじ様まで、ざっと30名ほど。その顔ぶれはさまざまだ。
最後に飛び込んできたのは、鬼のように大きくて、怖い顔つきの男性。
彼が中央の長机の前に腰掛けると、周りに人が集まった。
「みなさーん!おばんでございます!!」
ハリのある明るい声と、無邪気な笑顔。どうやら、鬼に似ているのは見た目だけのようだ。周囲の顔からも、思わず笑みがこぼれる。
しかし、彼の次の一声で、和やかな雰囲気はがらりと変わった。
「じゃあ始めましょうか。お願いします!」
すると、参加者のひとりがいきなり嘆きだした。
「なんとしたごどだ、今年のこの天気は!春さなってもヤマセ、収まらねえ」
さらにもうひとりがそれに加わる。
「あの時と同じだ。30年前の、天明のケガジの時と同じだ!」
……30年前?天明?ケガジ?
「ケガジだ!」
「ケガジだ!!」
「ケガジだ!!!」
突然、会場内の全員が声をそろえて叫び出した。
……一体、何が始まったのだろうか。
実はあの「鬼のような」風貌の男性は、有名な劇作家・演出家であり劇団「渡辺源四郎商店」店主でもある畑澤聖悟氏。ここ「鬼沢研修会館」で始まったのは、2014年3月23日に公開される、津軽ふるさと創成劇「鬼と民次郎」の稽古だったのだ。
そう。人々は鬼神の物語を次の世代に伝えることを、あきらめてはいなかった。
それどころか、自分たちの手で「新たな伝説の創造」に挑もうとしていたのだ―。
鬼沢には、鬼神伝説の他にもうひとつ、人々に愛され語り継がれてきた伝説が存在する。
それは、実在したあるひとりの農民の物語。彼の名は、「藤田民次郎」。
そう、彼こそが、芝居「鬼と民次郎」の「民次郎」である。
文化10年(1813年)のこと。相次ぐ凶作と過酷な年貢の取り立てに苦しむ人々を救うため、正義感の強い民次郎は、藩主への直訴を計画する。弘前城に向かう直訴隊はいつしか2000人を超え、大きな百姓一揆となった。決死の行動のかいあって年貢の減免の訴えは認められるが、直訴隊のリーダーであった民次郎は一揆の首謀者として22歳の若さで斬首されてしまう。
人々は彼の勇気をたたえ、「義民・藤田民次郎」として現代まで語り継いできたのだ。
「昨年、最後の語り部さんが亡くなられて、この2つの伝説を語り継ぐ方がいらっしゃらないんです。だから、それらをモチーフにして作られた『鬼と民次郎』というこのお芝居が、少しでもその役に立てればなぁと思っているんですよ」
そう語るのは、「NPO法人あおもりふるさと再生機構」の貴田千代世(ちよせ)さん。このお芝居の発起人だ。
初めて電話で話したときから、綺麗な声の人だとは思っていたが、聞けばやはり以前演劇をやっていたという。
貴田さん(右奥)と、運営の方々
「『鬼と民次郎』は、一回きりで終わらせるつもりはありません」
まるでアナウンサーのようにはっきりとした発声で、貴田さんは言った。
地域の創作劇に、わざわざ有名な演出家を呼んで製作を依頼したのにも、ちゃんとした理由があった。
「長く続けていきたいものだから、しっかりとした土台を作っておきたかったんです。それで最初はプロの方に作っていただきました。今後は徐々に地域の人達の手に移していく予定です」
伝承のたすきは、時代と共に、村人から一部の語り部さんへとリレーされたが、
今再び、地域の人たちの元へ戻ってきたようだ。
「ケガジだ!」
「ケガジだ!!」
「なんとがしてけろ、民次郎!」
「なんとがしてけろ……民次郎!!!」
役者たちの声が、部屋中に響く。
場面は、村人たちが民次郎に助けを求める一幕だ。
「ケガジ」とは東北の方言で、「凶作・飢饉」のことを指す。
芝居に出演する役者さんは皆、オーディションを受けて選ばれた人たちだ。
ほとんどの方はこの近隣の住民だが、鬼沢に住む人は数名だという。
(写真中央)奈良徹也さん(写真提供:AFS)
主役の民次郎を演じる奈良徹也さんは、そんな鬼沢在住のひとりだ。
私は彼に、この伝説を知ったときから疑問に感じていたことを素直にぶつけてみた。
「ほんとに鬼沢には、節分がないんですか」
「基本的にはないですね。あったとしてもかけ声は『鬼は内、福は内』になるはずです」
「じゃあ、ニュースとかで全国の豆まきの様子を見て、不思議に思いませんでしたか?」
「そうですねぇ……、特に強く違和感を感じたことはないです。『ふーん、そんなことするんだ』って感じでした」
奈良さんの返答は、私が期待していたものとは少し違った。
「鬼に豆をまくなんてけしからん!」
という反応が返ってくるとばかり思っていたのだ。しかし、彼以外の鬼沢出身者に同じ質問をしてみても、似たような回答がほとんどだった。
桃太郎や一寸法師に登場する悪い鬼に対しても、彼らは同じような反応だったという。
「ふーん、こんな鬼もいるんだ。いろんな鬼がいるんだな」
“いろんな鬼がいるんだな”
それはまるで、外国のニュースに登場する不思議な祭りや信仰を見たときに、
「へぇ、こんな祭りがあるんだ」「こんな神様がいるんだな」
と感心するときの言葉の響きとそっくりだった。
その響きは、なんだか優しく感じられた。
「もしかしたら優しい鬼もいるのかも、って思いました」
そう語ってくれたのは、佐々木可多奈ちゃん。「鬼と民次郎」出演者のひとりで、鬼沢近郊に住む16歳の女の子だ。
(左から)姉の佐々木可多奈(かたな)ちゃんと
弟の真功名(まぐな)くん
この演劇に出るまで鬼神伝説のことは知らなかったそうだが、台本を読むうちに、鬼に対する見方が変わったのだという。
どうやら、「鬼と民次郎」は、鬼神伝説の啓蒙に早くもひと役買ったようである。
鬼といえば「怖い」。
鬼といえば「恐ろしい」。
今までそのことに疑問を感じたことなんてなかったけれど、私自身、鬼沢の鬼を知ってから、「それってある意味『偏見』だったんだ」と思い至った。
でもそれは単に、これまで私が「怖い」鬼の話しか知らなかっただけのこと。
もちろん、知ろうともしなかったのだけれど。
本当はどんな世界にだっていろんな人がいるし、ひとりの人間の中でさえ良い面と悪い面があるのだから、実は「鬼=怖い」という定義自体、崩れやすい地盤の上に立っていたのかもしれない。
もしかしたら、「ながねはだち」の村人たちも同じように、思い込みで鬼を恐れてしまったことを悔やんだのかもしれない。
感謝だけではない、鬼に対する村人たちの後悔が、この物語を現代にまで連れてきたのかもしれない……、と思った。
夜の鬼沢に、役者たちの声が響く。
今はまだ本読みの段階だが、数日中に立ち回りの練習も始めるという。
お芝居には、市指定無形民俗文化財でもある「鬼沢獅子踊り」も登場する。鬼沢の魅力がぎゅっと詰まった芝居になること間違いなしだ。
新たな伝説の産声が、晴れやかに響き渡る日は、もうすぐだ。
この鬼の名を持つ町「鬼沢」に。
――村の人だちは鬼を鬼神様として鬼神社ば作って祀ったんだ。それから「ながねはだち」は、鬼の作った堰のあるところとして「鬼沢」って言われるようになったんだどさ。
とっつばれ(めでたしめでたし)。――
会場となった自得小学校体育館。280名の大入りとなった(写真提供:AFS)
「鬼と民次郎」出演者のみなさん(写真提供:AFS)
ライター 坂口直
1985年、東京都生まれ。
大学卒業後、海外特許取得に係る手続きの代理業に5年間従事。
初めてアジア以外の海外を訪問した際、異文化の面白さを感じ、まだ見ぬ人や文化に出会いたいという思いが芽生えるようになる。
その思いを遂げるべく、2013年春よりフリーのライターとして活動開始。現在はWeb媒体を中心に活動を広げている。