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未知の細道

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Text & Photo by 川内イオ 第22回 2014.6.30 update.
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サッカー日本代表専属料理人、最後の挑戦 厨房で闘うワールドカップ [後編]

サッカー日本代表の専属シェフを務めて10年。
西芳照はいま、ドイツ、南アフリカに続いて3度目のワールドカップに臨んでいる。
東日本大震災を経て、本当のサッカーファミリーになれたと語る男は、特別な想いを抱きながらブラジルの厨房で腕を振るう。

福島県 広野町・楢葉町 サッカー日本代表専属料理人、最後の挑戦 厨房で闘うワールドカップ [前編]へ バックナンバー NEXT
アルパインローズの入口

日本代表専属シェフ・西芳照が総料理長を務めるJヴィレッジは福島県双葉郡楢葉町にあり、原発から20キロ圏内。3月11日、東日本大震災当日もJヴィレッジで勤務していた西は、大混乱の渦に巻き込まれた。
「ちょうどお昼の営業が終わって、仙台にいる奥さんに電話している時でした。突然、『揺れてる』って言い始めたんです。その時、僕は何も感じていなかったので『え、揺れてないよ』と答えたら、しばらくして『きゃーっ』という叫び声で電話が切れました」
間もなくJヴィレッジも大きな揺れに襲われ、西も避難を余儀なくされた。その後、なんとか家族の無事を確保した西は、長女が住む東京へ。福島に戻れる状況ではなかったため、Jヴィレッジのレストラン事業を委託されていた給食会社の東京本社で働き始めた。
スーツを着て満員電車に乗り、9時に出勤。
所属先のメニュー開発室で、「今年の夏の一押し」を考えるのが仕事だった。
18時には会社を出て、まっすぐ帰る日もあれば同僚や友人と飲みに行く日もある。Jヴィレッジの厨房に立ち、朝から晩まで料理していた時と比べ物にならないほど楽に感じた。
しかし、そんな日々に違和感が募った。
「ここは俺のいるところじゃない」

東京から再び福島へ

震災からおよそ2ヵ月後の5月、西はJヴィレッジのある楢葉町の隣町、広野町を訪ねた。Jヴィレッジのすぐ近くに、広野町が管理する二ツ沼総合公園がある。そこに建つ「ふるさと広野館」の2階は、震災前、食堂として使われていた。地震で内部はめちゃくちゃになり、震災後は放置されていたが、西はここに目をつけ、広野町に願い出た。
「このあたりで働く人たちに弁当を作ってもいいし、夜、お酒を出して憩いの場になってもいい。ぜひここを使わせてください」
すると、広野町は「復興の最前線基地としてこの公園を提供しているから、ぜひともお願いしたい」と快諾。
その返事を受けて、西は6月に給食会社を辞めた。西にとっては一大決心だった。
ところが、地震で壊れかけた食堂を修繕しようにも、近隣の業者がすべて津波に襲われた沿岸の火力発電所の復旧に出向いていて、遅々として進まない。時間ばかりが過ぎてゆき、焦りが募った。
そんな時、Jヴィレッジから「戻ってこないか?」と声がかかった。Jヴィレッジは原発事故収束のための対応拠点になっており、運営元の東京電力は原発関連で働く人のために食事を提供できる人材を求めていた。そこで、Jヴィレッジの総料理長だった西に白羽の矢が立ったのである。
西はふるさと広野館の食堂の修繕をしつつ、Jヴィレッジに戻ることを決心した。
「以前、Jヴィレッジで一緒に働いていたパートさんたちから、『10月で失業保険が切れる』という話を聞きました。当時は保障の話も進んでいなかったから、それでは生活できなくなってしまう。そのパートさんたちから、『また一緒にやろうよ、早く戻ってきてよ』と言われたら、考えざるを得ませんよね。原発絡みの現場で働いている人たちの食生活が貧しいというのもわかっていたから、これはやるしかないと思いました」
9月1日、地震直後の状況のままで混沌としていたJヴィレッジのレストラン「ハーフタイム」の清掃を開始。西はタシケントで開催される日本代表のW杯アジア3次予選・ウズベキスタン戦に帯同するためすぐに日本を離れたが、スタッフが復旧作業を行い、14日には再オープンした。

店内にはクラブやサポーター等から
贈られた品が並べられている
西の背中を押した
元日本代表監督の岡田武史
西の背中を押した岡田武史の言葉

「ハーフタイム」では、原発事故の収束作業にあたる作業員や関連企業の社員に500円のワンコインランチを出しながら、ふるさと広野館の食堂のリニューアルも進めていた。
そして11月1日、「広野町レストラン アルパインローズ」のオープンにこぎつけた。もともと西が働いていたJヴィレッジの食堂の名前も「アルパインローズ」。同じ名前をつけたのは理由があった。
「Jヴィレッジのアルパインローズはいろんな人が来てくれたお店です。いずれまたオープンするだろうけど、何年先になるかわからない。今まで来てくれたお客さんに忘れてほしくないと思ったので、アルパインローズという名を残したいと思いました。さらに、広野町の人にも愛してもらいたい、お店に来て欲しいと思ったので、広野町レストランアルパインローズと名付けました」
開店に先立ち、西は日本代表のスタッフに開店のお知らせのメールを送った。
そのメールには「2011年11月1日、1並びの良き日を選んでオープンする運びとなりました……」と記した。
良き日とは書いたものの、西の胸中には不安が渦巻いていた。料理人としては自信があっても、経営者としては素人。しかも、明るい見通しがあったわけではない。「緊急時避難準備区域」の指定が解かれても、放射能汚染の恐怖は拭えず、避難した住民がすぐに戻ってくるとも思えなかった。それでも、故郷のため、地域の住民のため、復興のために「DREAM 24」という会社を立ち上げ、オープンに踏み切ったのだ。日本代表の登録選手は23人。西の会社「DREAM 24」は、24番目の選手として厨房からともに戦うという意味で名づけられた。
覚悟を決めていたとはいえ、「この先、大丈夫だろうか」という想いは尽きなかった。
そんな西の背中を押したのは、南アフリカワールドカップで苦楽を共にした元日本代表監督の岡田武史だった。アルパインローズの開店を知った岡田からのメールには、こう記されていた。
「最高の選択をしたな。俺はお前を誇りに思う」
「岡田監督のこの一言で、間違ってなかったって踏ん切りがつきました。岡田監督には人を奮い立たせるような力がある。だから2回も日本代表監督に選ばれたんだろうね」
岡田監督からのメッセージを読んだ西は、ひとり涙を流したという。
開店当日には、日本代表スタッフからのお祝いの品々が届いた。岡田武史からは見たこともないような巨大な花束が贈られてきて、度肝を抜かれたそうだ。

初めてのサポーターとの交流

お店がオープンすると、Jヴィレッジのハーフタイムと自分の店の2店舗を運営することになり、仕事は多忙を極めた。ハーフタイムを始めるに当たり、別の仕事をしていた妻も西と一緒に働き始め、途中からは長女も「DREAM 24」の一員に加わった。
とはいえ、経営が軌道に乗ったわけではない。原発事故収束事業に関する様々な決定によって売り上げは大きく左右され、従業員の時給を下げたこともあるし、一時期は店を畳む覚悟までしたそうだ。
それでも諦めずにアイデアを絞り、睡眠時間を削り、石にかじりつくようにして経営してきたことで、2店舗とも閉店することなく営業を続けることができた。
そんな状況の中で、西がつくづく実感しているのが「サッカーの力」だ。
震災後、サッカー関係者が様々な形で西を激励し、支援をしてきた。
昨年末には、岡田武史がバスを貸し切って日本代表のスタッフを引き連れ、アルパインローズで盛大な忘年会を行った。
岩手県出身で「東北人魂を持つJ選手の会」を立ち上げて被災地の支援を行っている鹿島アントラーズの小笠原満男は、西との交流が縁となって、今年1月に広野町で子どもたち向けのイベントを行っている。
さらには、西と面識のない数多くのサッカーファンが福島で孤軍奮闘している西を応援するために店まで足を運んでいるのだ。
「お店に来てくれたサポーターの皆さんに感謝しています。なかには磐田から来て、ユニフォームにみんなのサインをもらってきたからってプレゼントしてくれて、うちの店で飲んだ後に日帰りしたグループもいました。店で食事をした後、自腹でいわきに泊まって、翌日また来て、ボランティアで洗い場やホールに入ってくれた人もいます」
震災後、店や復興イベントでサポーターと触れ合うことで西の意識は大きく変化した。
「震災前も、日本代表のサポーターの人たちがJヴィレッジにご飯を食べに来てくれたりしましたけど、僕にとってはあくまで普通のお客さんの一人だったんです。日本代表のシェフとしてサッカーファミリーの一員だと言われて、僕もそう思ってきたけど、それは間違っていましたね。僕が考えるファミリーの中には選手、スタッフ、運営の人はいたけど、サポーターが入っていなかった。震災後になって初めてサポーターと交流したんですが、こんなに熱い人たちだと思っていませんでした。サポーターの人たちの想いを知って、そのパワーを実感して、彼らとつながることで自分もようやく本当のサッカーファミリーの一員になることができたと思います」
スタジアムでサポーターから声援を受けるのは選手や監督で、西をはじめとする代表のスタッフはあくまで裏方だ。だからサポーターの力を実感する機会もなかったのだと思う。
しかし、震災後の交流によって西は自分がどれだけサポーターに認められ、応援されてきたのかを肌で感じたのだ。これからも異国の厨房での戦いは続くが、もう孤独ではない。 

ともに東北の復興活動に携わる
小笠原選手からのメッセージ
アジアカップ優勝時のパネル
ブラジルワールドカップに懸ける想い

真のサッカーファミリーになって臨むワールドカップは、過去2回のワールドカップの時と気持ちも違うんじゃないですか?
そう尋ねると、西は言葉に力を込めた。
「サッカー選手って、PKとかFKの場面でボールを芝の上に置くときに、ただ置くんじゃなくて、魂を込めると聞きました。この前、小笠原さんが広野町にきたとき、子どもたちが足でボールを置いて蹴ろうとしたら、それは違う、ボールに魂を込めるんだ、ジーコからそう教えてもらったと言っていたんです。僕はもう52歳なんで、多分、最後のワールドカップでしょう。だから今回はね、修業を始めた頃、毎日包丁を見つめて最初の野菜を切ったときのことを思い出して、包丁に魂を込めますよ。料理人になって34年、この仕事の集大成という気持ちで、最高の仕事をしてきます」

――このインタビューから1ヵ月後の6月24日(日本時間25日)、日本代表のグループリーグ敗退が決まった。惜しいというよりは、力を出し切れなかったという無念さが募る結果となった。
しかし、僕は厨房での戦いでは世界のどこにも引けを取らなかったと確信している。精魂込めた西の料理が血となり、肉となり、気力の源となって選手たちを支えたはずだ。
ワールドカップが終わったら、僕はまた必ずアルパインローズを訪れるだろう。
日本代表のワールドカップは3試合で終幕を迎えたが、福島を舞台にした西の挑戦はこれからも続くのだから。


未知の細道とは
ドラぷらの新コンテンツ「未知の細道」は、旅を愛するライター達がそれぞれ独自の観点から選んだ日本の魅力的なスポットを訪ね、見て、聞いて、体験する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭」「挑戦者」の4つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、気になる祭に参加して、その様子をお伝えします。
未知なる道をおっかなびっくり突き進み、その先で覗き込んだ文化と土地と、その土地に住む人々の日常とは――。

(毎月2回、10日・20日頃更新予定)
今回の旅のスポット紹介
update | 2014.6.30 サッカー日本代表専属料理人、最後の挑戦 厨房で闘うワールドカップ [後編]
広野町レストラン アルパインローズ
サッカー日本代表の専属料理人である西芳照さんがシェフを務めるレストラン。
〒979-0402 福島県双葉郡広野町大字下北迫字二ツ沼46-1
Tel&Fax:0240-27-1110
Web:アルパインローズ ※Jヴィレッジレストラン ハーフタイムの情報もこちら
営業時間:
昼 11:30~13:30(L.O. 13:00)
夜 18:00~22:30(お料理L.O. 21:30 / ドリンクL.O. 22:00)
※金土日祝はランチのみ
定休日:月曜日
Jヴィレッジレストラン ハーフタイム
Jヴィレッジは震災以降、原発事故収束のための中継基地となっているが、ランチタイムは一般の方も利用できる。
〒979-0513 福島県双葉郡楢葉町山田岡美シ森8 JFAナショナルトレーニングセンター Jヴィレッジ内
営業時間:
月~金 11:00~14:00(L.O. 13:30)
土日祝 11:00~13:30(L.O. 13:00)
JFAナショナルトレーニングセンター Jヴィレッジ
サッカー日本代表も利用する本格的な屋内トレーニング設備を備えたフィットネスクラブがある。
〒979-0513 福島県双葉郡楢葉町山田岡美シ森8
Tel:0240-26-0111
Web:Jヴィレッジ

ライター 川内イオ 1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。

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