2013年、日本中に海女ブームを巻き起こしたNHKの朝の連続テレビ小説「あまちゃん」。ドラマでは北三陸の「北限の海女」にスポットが当てられ、舞台となった岩手県久慈市にはたくさんのファンが詰めかけた。
かくいう私も毎朝、主演の能年玲奈さんの愛くるしさに身もだえし、画面の前で「潮騒のメモリー」を熱唱したあまちゃんファンのひとりだ。
そんなこともあって実は、この日本の伝統と文化を巡る「未知の細道」の取材に関わりはじめたときから、虎視眈々と海女取材の機会が来るのを伺っていた。
そしてついに、そのときがやってきたのだ。
夏だ! 夏といえば、海だ! 海女さんだ!
鼻息荒く手当たり次第日本全国の海女さんの情報を調べてみたものの、インターネットに名前が登場するような海女さんは、すでにあまちゃんブームのときに多くのメディアに露出しており、出尽くした感があった。
何か他に良い取材対象はないものかと、苦し紛れに検索エンジンに「海女 祭り」と入力してみる。最後にひと言欲張って「体験」と付け加え、Enterボタンを押下した。
すると……あったのだ。なんともフォトジェニックな祭りが。
夜の海を、松明を手に輪になって泳ぐ白装束の海女達。
それは「海女の大夜泳」という名の催しで、毎年7月第3週目の週末に千葉白浜で開催される「白浜海女まつり」のメインイベントとなっているようだ。祭りの紹介ページには、「海女の体験申し込みはこちら」の文字。「これぞ」と思いリンク先を開くと、そこには「AMA(海女)48メンバー募集」と書いてあった。
明らかに国民的アイドルグループ「AKB48」のパクリである。
怪しい。怪しいけれど、面白そうだ。
それに、海女にもアイドルにもなれるなんて、あまちゃんファンにとっては願ったり叶ったりの好条件だ。
かくして「海女の大夜泳」が行われる7月20日の朝、リュックを背負った私は白浜行き一泊二日の旅に出かけたのだった。
祭りの舞台は、千葉県房総半島の最南端、野島崎灯台そびえ立つ南房総市白浜町だ。東京駅から館山方面行きの高速バスに乗り2時間半、会場横の停留所「南海荘」に到着すると、開始時間前にも関わらずそこはすでにたくさんの人でにぎわっていた。
第50回目となる今回は、東日本大震災復興支援イベントである「まるグル」とコラボレーションした企画となっており、例年よりも開催期間を1日増やし、3日間での開催となっていた。この日はメインイベントである「海女の大夜泳」が行われる2日目。つまり、前日から続く祭りの盛り上がりが最高潮に達する日だった。
バスを降りた瞬間、潮風が心地よく吹き付ける。空にはうっすらと雲がかかっていたものの、天気はひとまず「晴れ」。広場のすぐ脇には小さな入り江があり、背景の丘には町のシンボルである野島崎灯台が見えた。この場所が、夜泳の舞台となる場所であった。
何を隠そうこの私、中学校の体育の授業を最後に水泳などほとんどしていない。今回参加する「AMA48」企画のスケジュールの中には泳ぎの練習時間もちゃんと用意されていた。しかしそれでもやはり不安だった。しかも片手には松明を持って泳ぐのだ! 縦47メートル・横55メートルというその入り江は、バミューダトライアングルのごとき魔の海域に思えた。
溺れないようにしなければ。
そう自分に言い聞かせると、私は、海女祭り会場へゆっくりと足を踏み入れた。
AMA48の集合場所である海女まつり本部前には、数人の女性達がちらほらと集まってきていた。年代は20~40代までとやや若い。やはりあまちゃんブームの影響だろうか。
受付を済ませると海女の衣装が渡される。何ごとも形からとはよく言ったもので、やはり衣装を見ると泳ぎの不安もどこかに吹き飛んだ。早くこれを着て泳いでみたい!
周りの参加者も同じ心持ちだったようで、皆衣装の入った袋を手に嬉しそうな顔をしていた。話を聞くと、九十九里や津田沼など千葉県内から訪れている人と、都内から訪れている人が半々の割合だった。中には前年も同じ企画に参加しており、2年連続での参加という強者も。友人同士で参加している人もいるが、ひとり参加も目立った。
「それではみなさん揃ったようですので集まってください」
観光協会の担当者が周囲に呼びかける。いよいよAMA48結成の瞬間だ。
集まったのは……、全部で十数人の参加者。
「さすがに48人は集まらないかぁ」
私が小さく呟くと、隣りに立っていた女性が
「でもその分精鋭達が集まったんですよきっと」と笑った。
一夜限りのアイドル・AMA48(48人はいないけどとりあえず)のミッションは、「現地の海女さん達と一緒に夜泳の輪に加わり、泳ぎきること」。どうやら、歌ったり踊ったりというのはないらしい。とはいえこれは重大任務だ。アイドルと名乗るからには、仲間との絆を大事にし、人々に夢と希望を与えなければならない。一夜で成し遂げるには厳しい任務となるだろう。溺れている暇はない。
このミッションをクリアすべく、私たちはさっそく最初の課題へと向かったのであった。
辿り着いたのは、プレハブのような外観をした小さな建物だった。
中に入ると中央には囲炉裏があり、その周囲の畳の床には座布団代わりであろう古い毛布が敷き詰められている。木製のたんすが置いてあり、横にはたくさんの木の枝が積み上げられている。室内の壁はつぎはぎだらけで、見上げると古びた洗濯バサミが吊るしてあった。その奥に年配の女性がひとり座っている。
そこは、入り江近くにある「海女小屋」。
海女小屋とは、海女さん達が漁の合間に暖をとったり食事をとったりする休憩所のことだ。奥に座っていた女性は、ベテラン海女・本橋琴代さん。AMA48は、彼女の話を聞くためにここへやってきたのだ。
海女小屋外観
「どうぞどうぞ、狭いのでつめて入ってください」
琴代さんに手招きされて全員が中にあがりこむと、あっという間に海女小屋は満員になった。
「こんな風に昔はたくさんの海女さんがいて、この海女小屋もにぎやかだったんですよ」
琴代さんが海女になったのは18歳のとき。現在は79歳で、昨年引退したばかりだというから、海女暦はおよそ60年ということになる。琴代さんの娘時代は、高級食材のアワビを獲ることのできる海女さんは稼ぎが良く、嫁の貰い手も多かったという。琴代さんも例にもれず引く手あまたで、21歳のときに結婚した。
海女の最盛期には、朝から晩まで漁に出ては小屋に戻り、冷えた身体を囲炉裏の火で暖めた。仲間達と一緒に、持ってきたお弁当を食べたり、獲れたアワビを焼いて食べたり、お寿司をとって宴会してみたり、愚痴や笑い話をしたりと、ありとあらゆる人間模様がこの場で行われていたそうだ。
昭和の香り漂う海女小屋のなかでそんな話を聞いていると、まるで自分たちも囲炉裏の周りで暖をとる海女さんのような気分になってくる。
これで、海女のイメージトレーニングはばっちりだった。
次のミッションはいよいよ実践。泳ぎの練習だ。
講師として私たちに泳ぎを指導してくれるのは、白浜の現役の海女さんで、あの「あまちゃん」にも水中吹き替え役として登場していた、鈴木直美さん。ドラマでは、彼女が女優さん達の代役となって泳ぎを披露したという。つまり、まさに海女の落ち武者……ではなくて、影武者というわけだ。
夜泳の舞台とは別の入り江に、水着に着替えたAMAメンバーが集合した。皆心なしか緊張した面持ちだ。そこへ、竹の棒と桶が配られる。竹の棒は、本番では先端に布を詰め、火をともし松明になる。両面を板で塞がれた隙間のない桶は、抱えて泳ぐことで浮き輪代わりに使うという。
「ゆっくりと水の中に入っていって、腿辺りまで浸かったところで桶をみぞおちに当て、そのまま身体をあずけて浮かんでください」
海面への入り口はコンクリートの坂になっていた。参加者は列を作ってひとりずつ坂を下り、水に浸かる。私は運良く列の後ろの方につけたので、先に入水するメンバーの様子をうかがうことにした。
ところがそれは、不安を解消するにはまったくの逆効果だった。
「冷たい!」「寒ーいっ!」
そんな仲間達の叫び声、海面でひっくり返る様子を目の当たりにし、私の恐怖心はますますつのっていったのだった。
そうこうしているうちに、私の番がやってきた。
緊張の瞬間。じわり、と足先を海水につける。
「冷たい!」
晴れの日の午後といえど、この日の海温は泳ぐにはためらう冷たさだった。「海女アイドルたるもの、水が冷たいぐらいで弱音をはいていられるか!」と気合いを入れ直し、一歩また一歩と深く進む。足元が次第にヌルヌルしてきた。地面に苔が生えているのだ。転ばないように気をつけながらさらに深くへ進む。
ようやく腿まで水につかると、ためらっている私の後ろから「もう桶をお腹にあてて水につかっちゃって大丈夫ですよ」と先生のアドバイスがあった。覚悟を決めて、一気に上半身を水に浸ける。
「ぎゃーーー寒い!!!!」
叫びながらではあったが、なんとか入水に成功。
「平泳ぎの足でゆっくり前に進んでください。焦らなくていいですよ」先生のアドバイスが的確なタイミングで届く。
必死に漕ぎ出したものの、その直後私はそのままバランスを崩して後ろにひっくり返ってしまった。駆けつけた先生にサポートされながら桶を胸に当て直し、もう片方の肘を桶の側面に乗せるようにして松明を安定させる。一旦安定してしまうと、案外その体勢を保つのは簡単だった。
しかし、泳ぎの苦手な私は、ほとんど前方向へ進まない。だから、とにかくたくさん水を蹴って前へ進もうとジタバタもがいた。そうやって円になって泳ぐメンバーの輪に加わり無我夢中で泳いでいるうちに、いつしか水の中は暖かく感じるようになっていた。
AMA48の泳ぎを見守る琴代さん
そのとき、「がんばれー」という声が上のほうから聞こえた。見上げると、そこには元海女の琴代さんの姿。堤防から私たちを眺めていたのだ。
「泳いでるっていうより、もがいてる感じだねぇ」
そう指摘されたのは私の泳ぎだった。
「あなた追って出雲崎~、悲しみの日本海~」
いったん着替えをして広場に戻ると、聞き覚えがある歌が聞こえてきた。
メインステージを見るとたくさんの人でごった返しており、その奥に小さく見えたのは、外国人演歌歌手のジェロだった。なんと彼、海女まつりには今年で2年連続の出場だそう。「粉雪」だったか「細雪」だったか忘れたけどいい曲だよなぁ、なんて思いながら(正解は「海雪」)、私は空腹を満たすべく会場内の屋台を見て回ることにした。時刻は17時頃。夜泳本番まで残すところあと2時間ほどだった。
すると、あるテントの前に「海女カレー」と書かれた旗が立っているのを見つけた。しかしテント内には鍋もお皿も置かれていない。中に立っている女性に話を聞くと、この場所は海女カレーの提供場所ではなく、「投票所」とのことだった。
「海女カレー」とは、地元野島売店組合に加盟する飲食店がこの祭りに向けて開発したオリジナルカレーのことで、お客は美味しいと感じたお店に投票するという仕組みだ。
「海で仕事を終えた海女さん達が、冷えたカラダと心も温めるカレー」をテーマに作られた、サザエやアワビなど海の幸をふんだんに使ったカレーは、お椀サイズのカップで一皿300円で食べることができる。提供店の軒先には、このテントにあるのと同じ旗が立っているということだった。
「オリーブ」のサザエとアワビのスパイシーなカレー
「提供店は一番遠いところでも広場から徒歩5分の距離にあります」
という彼女の言葉通り、旗を探して歩き出すとすぐにいくつかの提供店を見つけることができた。
立ち並ぶ屋台を横目で眺め、やぐらの上の太鼓の音を聞きながら、アワビがたっぷり入った昔ながらの甘めのカレーと、サザエとアワビを贅沢に使ったトマトベースのカレーの2種類を味わった。のんびりと祭りの雰囲気を楽しんで投票所に投票をしにいくと、時刻はもう集合時刻の19時に迫っていた。
慌てて本部前に向かうと、そこにはすでに海女の衣装に着替えた参加者達が集まってきていた。大急ぎで私も衣装に早変わり。頭の頭巾だけがどうしても上手く巻けずにいたら、周りの参加者も同じだったようで、参加者同士で互いの頭巾の巻き合いが始まった。私もそばにいた人に巻いてもらい、なんとかきちんと装着。これでもう、足の先から頭の先まで全身白づくめだ。
本部の前に続々と集まる海女姿の参加者達
本部の外に出ると、本番コスチュームに着替えたAMA48達が競うように写真撮影をしていた。そこには企画参加者だけでなく地元の海女さん達も集まってきていたので、あたりは白装束だらけになり、ちょっと異様な光景だった。
いい記念になるのは間違いないので、私も私もと撮影されている集団に紛れ込む。
「そろそろ時間なので、待機場所に移動してくださーい!」
スタッフから号令がかかった。写真撮影にいそしんでいたメンバーは、カメラをしまうと、本部前に準備されていた桶を持って入り江近くの待機場所に移動し始めた。向かうのは、広場の隣りにある厳島神社の正面階段だ。この場所で、松明への点火が行われるのだ。
歩きながら、
「緊張しますね」
とAMAメンバーに声をかけると、
「ちゃんとついていけるか心配」
と答えが返ってきた。
チームAMA、集合!(撮影=大谷晴信さん)
不安を共有し、ふっと気持ちがやわらいだところに「頑張って~!」という声が聞こえてきた。子供達だ。気付けば周囲には私たちを見るために人が集まってきており、みんなこちらに向けて手を振ったり声援を送ったりしてくれていた。
分かっていたはずなのに、ようやくそこではっと気付いた。「海女の大夜泳」は祭りのメインイベント。これを見にみんな祭りにやってきているのだ。つまり、夜泳の主役である私たちはこのときこの会場で、まさにAKB48も凌ぐアイドル「AMA48」だったのだ。
階段のふもとに到着すると松明が配られ、それを受け取って階段に2列に並ぶ。竹の先に詰められた布には油が染み込ませてあって、周りはガソリン臭かった。階段の下にはすでに、私たちを見ようとたくさんの人が集まってきていた。
その時、下の方から「点火しまーす!」という声が。
海女達がいっせいに松明を右手に高く掲げる。すると、火種を持ったスタッフが一段、また一段と階段をあがり手前の海女さんの松明に点火し、手前の人が奥の人の松明に点火する、という幻想的な火のリレーが繰り広げられた。階段のふもとに集まった観客からは、どよめきが起こった。
私の松明にも火が点いた。炎の熱気と光に当てられると、心臓の鼓動はいっそう早くうち始めた。
その昔、野島埼の海で一隻の船が遭難し、多くの船乗りが暗闇の海に投げ出された。
これを受けた白浜の海女たちは、松明を手に夜通し船乗りたちを捜索したという。
「海女の大夜泳」は、この実際にあった悲しい出来事に因み、儀式として毎年行われるようになったと言われている。海女たちのかざす松明は、厳島神社のご神体である弁財天に捧げる海の安全と豊穣の祈りであると共に、海で犠牲になった人々の供養でもあるそうだ。
そんな伝統的な祭りも今年で50回目。通常は土日の両日共夜泳が披露されるが、今年はこの日一日のみということで「いつもより見物人が多い気がする」とスタッフの人も驚いた様子だった。
松明に火が点されて間もなく、「それじゃあ行ってください!」という声が聞こえてきた。列が前へと動き出す。「火気をつけて!人に当たらないように!」という呼びかけに従って、私は右手に持った松明の位置を確認した。
階段を降りきると通路の両側にはギッシリ人がいて、皆口々に応援の言葉をかけてくれる。そんなに大勢の人から声援を受ける機会なんかめったにないので、恥ずかくてどこを見たらいいか分からず、私は必死に松明の位置を気にするそぶりをして海へと向かった。
じりじりと夜の海が近づいてくる。
先導の海女さん達から順々に、海面へと続く坂を下って入水していく。自分の番があと10番目くらいになると、私は思わず緊張でつばを飲み込んだ。
海面に到着し足をつけると、昼間の熱を保っているのか練習のときほど水は冷たくなかった。とはいえやはり上半身を水に浸ける瞬間にはうめき声が出そうになる。
でも今日だけは、アイドルAMA48としてみんなの期待を裏切るわけにはいかなかった。叫びだしたいのをぐっとこらえて、私は夜の海に向けて地面を一蹴りした。
「寒い!」「足つったー!」「えーん、待って置いてかないでー!」
そんな声が飛び交っているのは、夜泳の円の内側。
きっと観客席からは、真っ暗な水面に炎の明かりがキラキラと照らされて、とても神秘的な光景に見えるのだろう。けれど、現場はそんな優雅な雰囲気とは無縁だった。一般参加のメンバーは、輪から脱落しないようにするだけで精一杯。こちらの声は陸上まで届かないため、皆思うがままに悲壮な声を上げていた。
息が荒くなっているのを感じながら、前へ、前へと進む。
「大丈夫ですかー」
という先生の呼びかけにも、「大丈夫です!」と答えることができた。
前を泳ぐ海女さんからも、そんなに大きな遅れをとっていない。
すると、静かな音楽が流れ始め、夜泳の歴史についての語りが始まった。
そこへ突然、「松明を回してくださーい!」という号令がかかった。
回すの!? そんな余裕はゼロだったが、無我夢中で松明を回した。会場からは、大きな拍手が巻き起こった。どうやらこれが夜泳の一番の見せ場だったようだ。
必死のあまりカエル足とバタ足とドルフィンキックを交互に繰り出すオリジナル泳法で進んでいた私は、華やかなステージの裏側というのは、大体こんな感じなのかもしれないな、と思ってちょっと笑ってしまった。
こうして、大きく輪から外れることもないまま約15分間を泳ぎきり、海女たちはもと来た順に海から上がっていった。岸に到着する直前、ドーンという大きな音がしたので振り返ってみると、背後の海で花火が打ち上がっていた。
「海女の大夜泳」の盛大なフィナーレだった。
夜泳の最後には、野島崎灯台の背後から打ち上げ花火が。
祭りは盛大なフィナーレを迎えた。
役目を果たした達成感と虚脱感、全身疲労がごちゃまぜになった状態で陸にあがると、休む間もなく観客がねぎらいの言葉と拍手で迎えてくれた。それは、松明を消火し、本部前に再集合するまでいつまでも続いた。
こんなにたくさんの人から、熱い視線と声援、歓声を受けることなんて、日常にあるだろうか?いや、ない。
びしょ濡れの身体は海風に吹かれて冷たくなっていたけれど、アイドルと海女の気持ちをいっぺんに体験した私の心は興奮ですっかり熱くなっていた。この体験はくせになりそうだった。
「一緒に写真撮ってください!」と駆け寄ってきた子供達に、私はアイドルらしく満面の笑顔で対応したのだった。
ライター 坂口直
1985年、東京都生まれ。
大学卒業後、海外特許取得に係る手続きの代理業に5年間従事。
初めてアジア以外の海外を訪問した際、異文化の面白さを感じ、まだ見ぬ人や文化に出会いたいという思いが芽生えるようになる。
その思いを遂げるべく、2013年春よりフリーのライターとして活動開始。現在はWeb媒体を中心に活動を広げている。