タキタロウ館から登山口へは、車で30分ほど。車を進めていくと、どんどん山の気配が色濃くなっていく。
大鳥池までの道のりは、ネットの情報だと3時間から3時間半。何を隠そう、僕は釣りの素人であるだけでなく、山の素人でもある。本格的な登山の経験はゼロ。もちろん、ひとりで3時間も山道を歩いたことはない。しかも、その日は雲一つなく晴れ渡り、気温30度を超えるギラギラの陽気だった。
13時17分。大丈夫かな、とドキドキしながら、10キロ以上あるバックパックを背負って歩みを進める。10分で汗が滝のように吹き出し、20分で最初の休憩を取った。
山道はまさに手付かずの自然が残されていて、深呼吸したくなるほど気持ちいい。
でも、ヤバいほど暑い。
30分を過ぎると、早くも自分との闘いの様相を呈してきた。タキタロウ館の売店のおばちゃんが「これから登るの? そりゃ大変だ」と言っていたことを思い出した。
そういえば、登山って朝や夕方にしている印象がある。実際、真夏の真昼間に大鳥池を目指している人間は、僕しかいなかった。
家族や友達がいれば話でもして気がまぎれると思うけど、ひとりで山道を歩く時、人はどうしているのか。
僕は、即興で思いついた「自己啓発遊び」を始めた。自己啓発書に出てきそうな言葉を、山に絡めてその場で創作するのだ。
「早く着くのが目的じゃない。ゆっくり歩いて確実に距離を縮めろ」
「山での一歩は、日常の十歩になる」
「足元を見るな。空を見ろ」
「この山の道なき道こそ、己の人生だ」
「山には、二度と同じ景色はない」
なんとなく深い意味がありそうで、実は何の意味のない言葉を大きな声で唱えると、胡散臭い自己啓発セミナーに参加しているような気分になって、笑えてくる。もし、誰かに見られていたらヤバい人だったろう。でも、ほとんど誰にも会わないから問題ない。
人生のこと、仕事のこと、家族のことなどもう少し深いことを考えようと思っても、暑さと疲労で頭が回転しないからムリだった。
川内イオ