それでも財政は火の車で、まさにお尻に火がついたこずえさんだが、窮地を脱することができたのも「フロムイースト上映会」のおかげだった。
「上映会を始めてすぐの頃に、面白いことをしているからと声をかけてもらってFM長野に毎週出演することになりました。それから、私が書いていた上映会の会報を読んだある方の紹介で、八十二銀行の機関紙に映画のコラムを書いたんですよ。それを信濃毎日新聞の方が認めてくださって、本紙にもコラムを書くことになって」
「そのうちにSBC信越放送のワイドショーにレギュラーででるようになり、さらにNHKからは月1回、30分の映画特集を組むので番組に出演してくれないかという話がきたりして、どんどん広がったんですよ。そのうちに、シネマコラムニストという肩書で仕事ができるようになって、東京と長野を行ったり来たりするようになり、忙しくはなりましたけど、この収入で上映会を継続することができました」
次第に東京での仕事も増え、東京に部屋を借り、上映会の期間中だけ塩尻に戻るという慌ただしい生活になった。それでも、一度も上映会を辞めようと思ったことはないという。
「フロムイースト上映会は私の人生の真ん中にあるもので、これを生きがいに、ほかの仕事でお金を得るという感覚でした。以前、大雪で車も走っていないような日に、ひとりだけ、長靴をはいて歩いて映画を観にきてくれた方がいました。その人に、この映画、良かったよ! と言ってもらうと、それがものすごく嬉しくて、エネルギーになって、また明日もやろうと思えるんです」
川内イオ