番組の撮影が終わり、久しぶりの日常に戻ったこずえさんは、「独断と偏見で、自分が観てほれ込んだ作品しか上映しない」というモットーで、「フロムイースト上映会」を本格的にスタートさせた。
この名前には、「イースト=東座から文化を発信したい」という想いが込められている。その志は高かったが、ハードルも高かった。まず、支配人の茂夫さんが「誰も知らないような映画を上映しても、商売にならない」と大反対。そこで、こずえさんは、「東座の邪魔にならない時間帯にやるので、映画館を貸してください」と頭を下げ、貸館料を支払うという条件で、ようやくひと月に1週間だけ、最も客が来ない夜8時半からの上映を許された。
映画の調達にも苦労した。映画館は配給会社からフィルムを借り受けて映画を流す。フィルムがデジタルデータになっただけで、この構造はいまも変わらない。現在は映画館と配給会社が売り上げの何割かをシェアする契約が多いそうだが、当時は配給会社が決めた価格を事前に支払わなければならないこともあった。
これが、厳しかった。こずえさんは映画館の手伝いをしていたが、「自分の生活は自分で何とかしなさい」という父・茂夫さんの方針で無給。ほぼ無職に近い状態で、配給会社への前払いはきつい。ほかに収入源がないので、映画が不人気だったら赤字になった。
立ち上げの時はテレビの取材という後押しがあったが、インターネットもない時代に、良く知らない、派手さもない欧州の映画を観に来る人が塩尻にどれだけいるだろうか?
川内イオ