小学生になると、複雑なストーリーはわからないまでも、加山雄三や石原裕次郎のアクションものや小林旭の任侠ものがお気に入りになり、大人になったら浅丘ルリ子のような女優になりたい、と夢を抱いた。
放課後に映画を観るのが楽しみで「外で遊んだ記憶がほとんどない」というほど映画の世界に没頭していたこずえさんだが、その間に世の中の状況は少しずつ変化していた。
1960年代後半以降、大衆の娯楽が多様化するにつれて急速に映画人気が陰り始めたのだ。その影響で東座からも客足が遠のき、経営危機に陥った茂夫さんは、やむをえず2階の劇場でピンク映画を上映することを決めた。この決断によって、中学生になっていたこずえさんは、同級生から「ポルノ女優」と揶揄されるなど悔しい思いをした。
しかし「父の決断は、私と妹を大学に行かせるため」とわかっていたから、周囲の心ない視線を無視することができた。そして、父の想いに応え、女優という自分の夢をかなえるために、高校卒業後、日本大学芸術学部の演劇学科に進学した。
一途な想いは実り、在学中から少しずつテレビやCMの仕事がくるようになった。ところが、一本気なところがあるこずえさんは、華やかなだけではない芸能界の裏側を知って相容れないものを感じ、23歳で女優の道を断念。
心機一転、海外のテレビ局の代理店を務める映像関係の企業に就職した。
川内イオ