未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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映画ファンを引き寄せる塩尻のレトロ映画館

東座の舞台裏奮闘記

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.83 |25 January 2017
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#3赤ん坊の頃から遊び場は映画館

フロムイースト上映会では、上映前に見どころを解説してくれる

「フロムイースト上映会」の成り立ちは、東座の歴史に触れずには伝えられない。
 東座の前身は、1922年に作られた芝居小屋だった。時とともにその経営権が移り変わり、松本にあった「演技座」という映画館がオーナーについた際に、そこの社員だったこずえさんの父、茂夫さんが支配人に任命された。1949年のことである。
 茂夫さんはその後独立し、家族で東座の経営にあたるようになった。

 当時の映画人気はすさまじく、1958年には観客動員数が11億2745万人に達した。これはいまでも最多記録である。ちなみに、2015年の観客動員数は1億6663万人だから、約10倍の人が映画館に殺到していたのだ。
 こずえさんが生まれたのは、映画の人気が絶頂期だった1959年。当然、東座も大忙しで、こずえさんは「ハイハイするくらいの時から映画館にいました」と振り返る。

 まだ芝居小屋の面影を残していた当時の東座は2階が桟敷席で、お客さんは座布団に座ったり、ゴロンと横になったりして映画を観ていた。幼い頃のこずえさんは、毎日のようにその桟敷席に足を運んでいたという。

「2階の桟敷席では、OLのお姉さんたちがいろいろな食べ物を持ってきて、寝転がったりしながら映画を観ていました。お姉さんのところに行くとお菓子をくれたり、遊んでくれたりするので、それが楽しくていつも桟敷席にいましたね」

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未知の細道 No.83

川内イオ

1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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