海外のテレビ局とやり取りする仕事にやりがいを見いだし、毎日最終電車で帰るほど猛烈に働いた。その努力が認められ、海外出張を任されるようにもなった。周囲からすれば、女優の卵から、キャリアウーマンに華麗なる転身を遂げたように見えたことだろう。
でも、何か違和感があった。
きっと、雇われの身で身を粉にして働いたからこそ、景気が良い時も悪い時も誰かに頼ることなく真正面から映画館の経営に取り組んでいた父母の姿がより一層輝いて見えたのだろう。次第に「自分はいつまでも兵隊のままでいいのか」という想いが湧きあがり、抑えきれなくなったこずえさんは、13年間勤めた会社に辞表を出し、実家に戻った。
35歳の時のことだった。
「とりあえず一年間は何もしないで、自分をまっさらにしよう」
そう思って帰郷したこずえさんを、思わぬ事態が待ち受けていた。
塩尻に帰ったのは1995年で、たまたま映画誕生100周年にあたっていた。各メディアが記念企画を計画していたなかで、「東京で映像の仕事をバリバリしていたキャリアウーマンが、映画館を経営する実家に戻る」ことに注目した知人からの依頼で、ドキュメンタリー番組に取り上げられることになったのだ。
テレビクルーが3ヵ月も密着することになったのだが、実家で体を休めるつもりだったこずえさんの毎日は、映画館の掃除など両親の手伝いをするぐらい。あまりに地味で静かな生活で、これでは番組にならないとしびれを切らした監督は、「なんか面白いことをしませんか?」と持ち掛けた。
川内イオ