お腹が落ち着いた僕は、この滋味の秘密を知りたくて「焼尻めん羊牧場」に向かった。牧場は港からなだらかに続く坂道を登り切った高台にある。岩場に打ちつける波の音が聞こえそうなほど海が近い。
入り口の近くに宿舎や羊舎があり、その先には見渡すかぎりの草地が広がっている。なだらかな丘が傾斜をつくっていて、その景色は日本とは思えない。写真でしかみたことがないけれど、伝統的な牧羊が行われているイングランドの湖水地方を思い出した。
迎えてくれた牧場長によると、この絶景はもとからあるものではなかったようだ。意外な歴史を教えてくれた。
「羽幌町はずっと漁業の町だったですよ。ニシン漁が盛んでね。でもだんだんニシンが獲れなくなって、昭和37年(1962年)に不漁対策として町が羊を漁師に貸し出したんです。毛を刈って副収入にしてもいいし、自分のセーター、靴下、帽子を作ってもいい。万が一、食料がなくなったら食べてもらおうと」
歴史を遡ると、ニシン漁は乱獲によって明治時代から下り坂になり、羽幌町のある留萌地方でも昭和32年に終焉した。恐らく、これで漁師の生活が傾き始めたのだろう。現在、指定管理者制度で羽幌町から委託を受けて焼尻めん羊牧場を運営している萌州ファームのホームページには、昭和37年に「漁家不漁対策として町有めん羊12頭を漁家に賃与する」と書かれている。
しかし、この事業は定着しなかった。
「なぜなら、漁師は狩り人だから。あるものをとって食べるという暮らし方をしていた人たちに、牧羊は馴染まなかったんです」
川内イオ