未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
120

片道10時間の道程が前菜になる焼尻島

北の離島で世界一の羊を焙る。

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.120 |10 JULY 2018
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#4意外な歴史

牧場、キャンプ場もこの海沿いの道に面している。

 お腹が落ち着いた僕は、この滋味の秘密を知りたくて「焼尻めん羊牧場」に向かった。牧場は港からなだらかに続く坂道を登り切った高台にある。岩場に打ちつける波の音が聞こえそうなほど海が近い。

 入り口の近くに宿舎や羊舎があり、その先には見渡すかぎりの草地が広がっている。なだらかな丘が傾斜をつくっていて、その景色は日本とは思えない。写真でしかみたことがないけれど、伝統的な牧羊が行われているイングランドの湖水地方を思い出した。

 迎えてくれた牧場長によると、この絶景はもとからあるものではなかったようだ。意外な歴史を教えてくれた。

 「羽幌町はずっと漁業の町だったですよ。ニシン漁が盛んでね。でもだんだんニシンが獲れなくなって、昭和37年(1962年)に不漁対策として町が羊を漁師に貸し出したんです。毛を刈って副収入にしてもいいし、自分のセーター、靴下、帽子を作ってもいい。万が一、食料がなくなったら食べてもらおうと」

 歴史を遡ると、ニシン漁は乱獲によって明治時代から下り坂になり、羽幌町のある留萌地方でも昭和32年に終焉した。恐らく、これで漁師の生活が傾き始めたのだろう。現在、指定管理者制度で羽幌町から委託を受けて焼尻めん羊牧場を運営している萌州ファームのホームページには、昭和37年に「漁家不漁対策として町有めん羊12頭を漁家に賃与する」と書かれている。

 しかし、この事業は定着しなかった。

 「なぜなら、漁師は狩り人だから。あるものをとって食べるという暮らし方をしていた人たちに、牧羊は馴染まなかったんです」

焼尻めん羊牧場。入り口の近くに宿舎や羊舎があり、その先には見渡すかぎりの草地が広がっている。
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未知の細道 No.120

川内イオ

1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。