未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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投げてこすってカーリング体験記

私を常呂に連れてって!

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.106 |25 January 2018
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#9町のクラブチームが五輪へ

ホール2階のサロンでは、常呂町のカーリングの歴史や五輪選手のユニフォームなどが展示されている。

「アドヴィックス常呂カーリングホール」の隣りにあったこの旧ホールこそ、僕の師匠、白畑先生が役場で働き始めた時に完成したものだ。専用リンクができるとますます練習にも熱が入り、常呂町の選手の技術がどんどん上達した。また、この専用リンクができたことで、1990年からは常呂町の小学校、中学校、高校の冬の体育の授業でカーリングが取り入れられ、町の子どもたち全員がカーリングを体験するようになった。

 これらの動きによって選手層が底上げされたのだろう。前述したように、1998年の長野五輪では男女8人中、5人が常呂町出身だった。その後の五輪でも、特に女子は常呂町出身者が代表選手として活躍。常呂町出身の選手が五輪に出たことでさらに高まったカーリング熱は、近年にはいってまた加熱した。

 2006年のトリノ、2010年のバンクーバー五輪に出場した常呂町出身の本橋麻里選手が中心となって、2010年にカーリングのクラブチーム LocoSolare(ロコ・ソラーレ)を結成。2016年に日本カーリング選手権大会で初優勝すると、昨年9月のピョンチャン五輪代表決定戦でも勝利して、町のクラブチームが見事に五輪出場権を手にした。

 カーリングは、町の経済の活性化にも貢献している。ロコ・ソラーレの結成から2年後の2013年、新たな専用リンク「アドヴィックス常呂カーリングホール」が完成すると、国内外からもチームが集うようになった。

「ローカル」と「常呂っ子」から「ロコ」 + イタリア語で太陽を意味する「ソラーレ」で「ロコ・ソラーレ」。

「ここは通年で運営しているので、夏場になると大学生のチームが合宿にきます。韓国、中国、カタールのチームも練習に来ました。交通の便が悪いのと、宿泊施設があまりないので、夏場になると混雑して町に宿泊できないほどです。受け入れる側として大変なこともありますが、活気が出ていいですよね」

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未知の細道 No.106

川内イオ

1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。