「アドヴィックス常呂カーリングホール」の隣りにあったこの旧ホールこそ、僕の師匠、白畑先生が役場で働き始めた時に完成したものだ。専用リンクができるとますます練習にも熱が入り、常呂町の選手の技術がどんどん上達した。また、この専用リンクができたことで、1990年からは常呂町の小学校、中学校、高校の冬の体育の授業でカーリングが取り入れられ、町の子どもたち全員がカーリングを体験するようになった。
これらの動きによって選手層が底上げされたのだろう。前述したように、1998年の長野五輪では男女8人中、5人が常呂町出身だった。その後の五輪でも、特に女子は常呂町出身者が代表選手として活躍。常呂町出身の選手が五輪に出たことでさらに高まったカーリング熱は、近年にはいってまた加熱した。
2006年のトリノ、2010年のバンクーバー五輪に出場した常呂町出身の本橋麻里選手が中心となって、2010年にカーリングのクラブチーム LocoSolare(ロコ・ソラーレ)を結成。2016年に日本カーリング選手権大会で初優勝すると、昨年9月のピョンチャン五輪代表決定戦でも勝利して、町のクラブチームが見事に五輪出場権を手にした。
カーリングは、町の経済の活性化にも貢献している。ロコ・ソラーレの結成から2年後の2013年、新たな専用リンク「アドヴィックス常呂カーリングホール」が完成すると、国内外からもチームが集うようになった。
「ここは通年で運営しているので、夏場になると大学生のチームが合宿にきます。韓国、中国、カタールのチームも練習に来ました。交通の便が悪いのと、宿泊施設があまりないので、夏場になると混雑して町に宿泊できないほどです。受け入れる側として大変なこともありますが、活気が出ていいですよね」
川内イオ