キーマンは、常呂カーリング協会初代会長の小栗祐治さん。北海道とカナダのアルバータ州が1973年に姉妹提携を結んだのが縁で、北方圏のスポーツを導入しようという動きのなかで、1980年1月、北海道の池田町というところでカーリングの講習会が行われた。
カーリングの発祥は15世紀のスコットランドと言われているが、カナダで人気を集め、アイスホッケーに次ぐ冬のスポーツとしての地位を確立している。姉妹提携した国の人気スポーツを取り入れようというわけだ。この講習会に参加し、「これは面白いスポーツだ」と思った小栗さんは常呂町でチームを結成。同年、協会も立ち上げた。
ちなみに、役場職員だった鈴木さんも小栗さんに声をかけられてカーリングを始めたものの、当時はもちろん屋内施設などなく、屋外でプレーしていたので「寒いし、楽しくなかった(苦笑)」そうだ。しかし、小栗さんの情熱はサロマ湖から吹きつける寒風を寄せ付けないほどに燃え上がり、「五輪競技にする」と断言して、周囲をどんどんと巻き込んでいった。1984年には、常呂町のメンバーがカナダ遠征をしている。鈴木さんは、こう振り返る。
「五輪なんて、僕たちからしたら『なに言ってるの?』という感じでしたし、カーリングもすぐに忘れ去られるんだろうなと思っていたんです。でも、小栗さんみたいに熱い人がいることで町ぐるみでカーリングが盛り上がっていって、1988年に初めて屋内のカーリング専用リンクができたんですよ」
川内イオ