未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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投げてこすってカーリング体験記

私を常呂に連れてって!

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.106 |25 January 2018
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#3趣味で始めたカーリングで五輪出場

元長野五輪日本代表選手、白畑容子さん。僕のカーリング師匠。

 女満別空港から常呂町までは、車で1時間弱。カーリングホールに着き挨拶を済ませると、シューズなどを受け取ってロッカールームに向かった。さすが「カーリングどころ」、利用料は1時間1400円、ブラシ・靴・スライダーなど用具一式は120円、防寒着上下も400円でレンタルできるので、ほぼ手ぶらでカーリングを体験できる。2013年に完成したカーリング専用屋内競技場は、まだ真新しい雰囲気で一面に張られた氷がとてもきれい。

 今回、カーリングの「カ」の字も知らない僕にイチから指導してくれたのが、白畑容子(旧姓:三村)さん。僕の師匠となる彼女こそ、長野五輪に出場した元日本代表選手だ。白畑さんがカーリングを始めたのは、1988年。高校を卒業し、町役場の職員になったその年、常呂町に最初の室内練習場が完成し、職場の先輩から「体力作りにやってみない?」と誘われたのがきっかけだった。

「趣味で始めたんですけど、負けたら悔しくて練習するようになったんです」

 詳細は後述するが、その頃、すでに町内ではカーリングが根付いており、「先輩たちがたくさんいて、みんなが先生みたいでした。常呂町が日本で一番レベルが高かったと思う」。次第にカーリングに熱中し、気づけば日本トップクラスの選手に。そして、カーリングが初めて五輪競技に採用された1998年の長野五輪で、女子日本代表に選出された。

 ちなみに、カーリングは1チーム4人で構成されるが、長野五輪の日本代表男子3名、白畑さんを含む女子2名が常呂町出身だったというから、常呂町のレベルの高さがうかがえる。長野五輪では、女子は2勝5敗の5位でフィニッシュ。「わけもわからず五輪に出場した感じだったけど(笑)、町を挙げて応援してくれたし、楽しかった」と振り返る。

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未知の細道 No.106

川内イオ

1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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