未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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究極の苦行で時を超えた偉人を訪ねて

あなたは即身仏を知っていますか?

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.102 |25 November 2017
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#7存在が秘匿された鉄竜海上人

鶴岡駅から車で10分ほどの場所になる南岳寺。即身仏が安置されている鶴岡市内のお寺のなかでは最も駅に近い。

 南岳寺では、住職が体調不良ということで職員の方が説明してくれた。南岳寺に安置されているのは、「鉄竜海上人」の即身仏だ。

 鉄竜海上人は1820(文政3)年、秋田の生まれで、16歳の時に鶴岡にやってきて南岳寺に入った。人を殺めて逃れてきたという説もある。師匠は、注連寺の鉄門海上人の弟子にあたる天竜海上人。鉄竜海上人は頭脳明晰かつ修行熱心だったそうで、その能力を高く評価されて、後に南岳寺の住職に就く。

 1862(文久2)年には湯殿山の仙人沢での1000日に及ぶ山籠修行を成就。その際に信者から寄進された金品をもって、修業時代に派遣されて長く過ごしたが、1848(嘉永元年)年に全焼してしまった岩手の連正寺の再建に尽くす。

 1871(明治4)年には、鉄門海上人が開いた加茂坂峠の道の改修に際し、当時としては珍しかったダイナマイトを使って拡張に成功し、見事完成させたという。そして1881(明治14)年、鉄竜海上人は62歳で入定した。

鉄流海上人の生家から寄贈された姿絵。

 即身仏になることを志す者にとって問題になったのは、1880(明治13)年に旧刑法が制定され、自殺ほう助、墳墓発掘などが禁じられたことだった。

「即身仏になることは一種の自殺行為とみなされるようになりましたが、人の手を借りての修行のため、自殺ほう助罪に問われるようになってしまったのです。また、石室の開封すらも違法になりました」

 旧刑法が施行されて以降、法に抵触するとして即身仏を目指す人が絶えていくなかで、鉄竜海上人は、入定を断行。湯殿山で修業した行者として最後の即身仏となった。1000日後の発掘も信者によって隠密裏に行われ、そのあと数十年間にわたり、鉄竜海上人の没年は明治元年とされてきた。真実が明かされたのは昭和も半ばになってからだった。

 南岳寺は1956年に全焼してしまったが、ご本尊と鉄竜海上人の即身仏にはなぜか火が及ばなかったという。

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未知の細道 No.102

川内イオ

1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。

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