未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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究極の苦行で時を超えた偉人を訪ねて

あなたは即身仏を知っていますか?

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.102 |25 November 2017
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#396歳まで生きた真如海上人

第95世貫主の遠藤宥覚さんと真如海上人。

 真如海上人は、どんな人だったのだろうか。

「山形県の朝日村の出身で、山から伐採した木をソリでおろす、ソリ引きの仕事をしていました。ところがある日、3人の子どもに頼まれてソリに乗せてあげたところ、事故で1人が亡くなってしまった。それで、私は一生この子を弔っていきますと誓って、大日坊に入門して湯殿山での荒行に入りました」

 この荒行が、過酷だ。まず、体づくりをするために湯殿山で厳しい修業をしながら米、大麦、小麦、小豆、大豆の五穀を1000日間断つ。それが終わると山を降りて、弟子たちを引き連れて托鉢に回る。東北6県、新潟、長野まで足を伸ばしたという記録があるそうだ。

 さらに托鉢をしながら、五穀に加えてに粟(あわ)、稗(ひえ)、蕎麦、とうもろこし、きびを加えた十穀を1000日間絶つ。この十穀絶ちの間、口にできるのは木の実、木の皮、木の根、山菜、きのこ、たけのこなどで、これを「木食行(もくじきぎょう)」という。托鉢中にもらったお布施や食料は、「布施の行」として貧しい人たちに全て配る。

 こうした修業を繰り返している間も、飢饉や疫病で民衆は苦しんでいた。そこで真如海上人は、当時としては異例中の異例の96歳まで生きていたが、自らの命をかけて人々を救うことが使命だと、1783年(天明3年)即身仏になったそうだ。ちなみにこの年は天明の大飢饉の真っただなかで、東北地方の農村部を中心に数万から数十万人が餓死したといわれる。

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未知の細道 No.102

川内イオ

1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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