未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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究極の苦行で時を超えた偉人を訪ねて

あなたは即身仏を知っていますか?

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.102 |25 November 2017
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#5「行者の神様」鉄門海上人

注連寺の本堂。森敦の小説『月山』の舞台としても知られている。

 大日坊瀧水寺を後にした僕は、「湯殿山 注連寺」に向かった。ここも空海と縁が深く、湯殿山の開山に際し、空海が825年(天長2年)に祈祷所として建てたと伝えられている。注連寺に安置されているのは、「鉄門海上人」。住職の佐藤弘明さんによると、湯殿山で仏道・修験道の修行をする「行者」はみな、名前に空海の「海」の字を入れて「〇〇海」と名乗った。そのなかで、鉄門海上人は「行者の神様」と呼ばれる存在だったという。

「鉄門海は21歳の時、注連寺で仏門に入って、30歳ぐらいからようやく湯殿山で修業を始めたようです。スタートは遅かったのですが、それからがすごい。東北を中心に、鉄門海、あるいは鉄門上人と書かれた碑が195個もある。この数は行者のなかでもダントツで、それだけ鉄門海があちこちに出向いて何かしていたということです」

「例えば、鶴岡の漁港がある加茂地区と、江戸時代は幕府の領地として栄えた大山地区を結ぶ加茂坂峠に新しく道を作ったのが鉄門海。手弁当で合計1万人のボランティアを動員して、3年がかりで完成させたそうです。秋田では新田開発の指揮を取ったり、1820(文政3)年には大発生して社会問題になったケダニ(ツツガムシ)の退散祈祷もしています。また、庄内の漁村ではタコ釣りの仕掛けを教えたそうで、タコ漁の道具『テツモンカイ』が残っています」

ご神木は、樹齢約200年の「七五三掛桜」(しめかけざくら)。

 鉄門海の足跡はまだはっきりしていないことも多いそうだが、北海道から江戸、京都にまで足を伸ばしたと言われている。京都では仁和寺という伝統と格式ある寺から院号を授けられている。

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未知の細道 No.102

川内イオ

1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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