最初に向かったのは「湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺」。807年に弘法大師・空海によって開創された真言宗の古刹で、空海自作の御本尊を有している。徳川将軍家の祈願寺であり、春日局が参詣した寺としても知られる。ここに安置されているのが、「真如海上人」の即身仏だ。第95世貫主の遠藤宥覚さんは、即身仏の由来から教えてくれた。
遠藤貫主によると、鶴岡市を中心とした庄内地域に即身仏信仰が根付いたのは、鶴岡にある出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)のうち、湯殿山に由来がある。真言宗の開祖、空海によって開かれた湯殿山は、真言密教の修行の聖地となった。その後の853年、62歳の空海は高野山の奥の院で「入定」した。
入定とは真言密教の修行のひとつで、精神を統一し、無我の境地に至るために瞑想することを指す。この後、生きた空海の姿を見た者はいないが、高野山奥の院では現在も空海が祈りによって人々を救っているとされ、毎日、衣服や食事が給仕されているそうだ。
空海の影響力は湯殿山に強く残り続け、やがて庄内地域を中心に即身仏信仰が生まれる。庄内を含む東北の農村地帯は昔、食糧難に悩まされた地域で、飢餓に苦しむ民衆が後を絶たなかったため、空海と同じように入定し、生命の限界を超えて民衆を救うことを目指す僧侶が現れ始めたのだ。日本にはおよそ二十体前後の即身仏が現存しており、そのうちの半数以上は湯殿山で修業した僧侶とされる。
川内イオ