未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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酪農女子と5頭の牛の新たな物語

幸せな牛のやさしいミルク

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.125 |9 November 2018
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#7たらちゃんと

 それからの1年間は、銀行により詳細な事業計画書を提出して融資を申し込んだり、搾乳室を作るための建設許可を得たりという面倒な事務的な作業に忙殺されたが、やることがわかればゴールまで走り続けるだけだ。かつての駅伝ランナーは、一歩一歩、着実に足を前に進めていった。

 肝心の牛は、なかほら牧場から連れてきた。たらちゃん、れもん、あおば、あやめ、ゆかりこの5頭。中洞さんの好意もあり、格安で買い入れることができたそうだ。このなかで島崎さんが「どうしても」と指名したのがたらちゃん。

島崎さんが生後2カ月の頃からかわいがっているたらちゃん(先頭の牛)

 「たまごっちというゲームでたらこっちっていうキャラがいるんですけど、私、たらこっちが大好きで小学校2年生の時に『私のことたらちゃんって呼んで』と言ったみたいで。それから大学まであだ名がたらちゃんだったんです。それで、私がなかほら牧場に行く2か月前に生まれた子牛の名前がたらちゃんで、しかも母親の名前がシマだったので、出会った時からずっと親近感を持っていて」

 実は、たらちゃんはお乳の出具合でいうとそれほど優秀な牛ではなく、中洞さんや先輩スタッフからは「酪農家として5頭を厳選しなくてはいけないときに、生産性の低い牛を連れて行くのはどうなの?」と疑問を呈されたそうだ。それでもたらちゃんにこだわった。それは、牧場の将来を見据えての判断だった。

 「たらちゃんはすごく人懐っこいんです。だから、牧場にお客さんを呼ぶようになった時に活躍してくれると思っています」

 たらちゃんは、意外な形ですぐに期待に応えた。山北の牧場に来ると、リーダーとしてほかの牛を従えるようになったのだ。牛は集団生活をする動物なので、飼い主にとってリーダーはとても需要な存在になる。

 朝と夕方の搾乳時、島崎さんが鐘を鳴らしながら「こー、こー」と呼ぶと、牛が搾乳室に向かってくるのだが、たらちゃんは先頭に立ってほかの牛を連れてくる。時には、時間になると搾乳室の前で待っていることもあるそうだ。生まれて2か月の頃からかわいがってきたたらちゃんの存在は、島崎さんにとって大きな支えになっているのだろう。

普段、牛たちが生活している牧場の様子
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未知の細道 No.125

川内イオ

1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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