未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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酪農女子と5頭の牛の新たな物語

幸せな牛のやさしいミルク

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.125 |9 November 2018
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#6一世一代のプレゼン

薫る野牧場。奥にみえるススキが一面を覆っていたが、手前側は牛が食べてすっかりきれいに。

 渡りに船、というより、渡りに牛。県営育成牧場は閉鎖を控えて活動を縮小していたのか、既に山頂には雑草が生い茂っていたが、島崎さんは気持ちが昂った。

 「大野山は登山者が多いから、山地酪農をいろいろな人に知ってもらうにはいい場所なんじゃないかなと思ったし、地域の方が山地酪農を知っていたことも大きかったですね。それに私、高校の時に陸上をやっていて、丹沢湖畔を走る駅伝で山北町に3回来てるんです。それで縁を感じました」

 岩手に戻った島崎さんは、中洞さんに「山北町に行って牧場をやりたい」と告げた。中洞さんからは「もっと岩手にいてもいいんだぞ」と言われたが、島崎さんはもう大野山で牧場を営む自分を想像していた。

 就職の時と同じく、こうと決めたら島崎さんはぶれない。初めて大野山に行ってから10か月後の2016年9月には大野山に移住した。この時、まだ牧場を始められると決まっていなかったというから、大胆だ。

 移住してからは、ほかの牧場でアルバイトをしたり、地域のNPOで山仕事を手伝ったりしながら、慣れない事業計画書を書き上げた。育成牧場があった土地は地域が所有する「財産区」にあたるため、共和地区の住民たちの合意を取り付ける必要があったのだ。

 移住から半年後、島崎さんが住民に事業計画を説明するための会合が開かれた。会社員ではなかったから、プレゼンには慣れていない。もし反対する住民がいたらどうしようという不安も募る。緊張のなか、それでも精一杯、自分の思いを伝えた。すると、ひとりの住民が声を上げた。

 「若い人がここで頑張ろうとしてるんだから、応援してやろうじゃないの」

 ほかの何人かの住民もこれに同調したことで会合の雰囲気が明るくなり、「前向きに進めましょう」ということで落ち着いた。島崎さんにとっては一世一代のプレゼンだった。

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未知の細道 No.125

川内イオ

1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターに。
スポーツノンフィクション誌の企画で2006年1月より5ヵ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を周り、世界のサッカーシーンをレポート。
ドイツW杯取材を経て、2006年9月にバルセロナに移住した。移住後はスペインサッカーを中心に取材し各種媒体に寄稿。
2010年夏に完全帰国し、デジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部を経て、現在フリーランスのエディター&ライターとして、スポーツ、旅、ビジネスの分野で幅広く活動中。
著書に『サッカー馬鹿、海を渡る~リーガエスパニョーラで働く日本人』(水曜社)。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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