ここからが、怒涛の展開だった。その年の6月に退職した井原さんは、故郷の秩父にUターン。無職、無給の状態で組合のメンバーとともに計画を練った。もちろん、メープルシロップの加工所と飲食店を併設したカナダのシュガーハウスのような施設を作るノウハウなど誰も持っていない。仲間たちと手探り状態で土地を探し、利用できる補助金を調べ、どういう設備にするのかを考えた。
場所はいくつかの候補があったなかで、「最初に見た瞬間、カナダのシュガーハウスを思い出して、ここだと思った」という秩父ミューズパーク内のログハウスに決めた。もともとゴルフのスタートハウスだった建物で、後に管理を引き継いだのは秩父市。そこで組合メンバーのツテをたどり、秩父市長に施設を使わせてほしいと直談判すると快諾を得た。
建物が決まったら、次は肝心の中身。慌ただしい日々のなかで2015年6月、2度目のカナダに向かった。
「この時は、最初に訪問した時に知り合ったメープル農家の方の家にファームステイさせてもらって、メープルシロップの作り方を教えてもらったり、勉強会に参加させてもらったり、ファーマーズマーケットを視察したりしながら、具体的なビジネスを学びました」
帰国すると、8月に自らの会社「TAP&SAP」を設立。TAPは樹液を採る、SAPは樹液という意味がある。このネーミングからも、秩父のカエデと樹液に懸ける井原さんの熱い想いと覚悟がうかがえる。9月には、カナダから輸入したメープルシロップを煮詰める機械『エバポレーター』が到着。メンバーで力を合わせて設置したことで、それまでおぼろげだった「日本初のシュガーハウス」がにわかに現実味を帯びた。
しかし、まだまだやることがあった。年末から2016年3月まで施設の改修工事が行われ、同時並行でカフェとしての体裁を整えながら、開店ギリギリまで外溝工事や掃除などさまざまな作業に追われた。4月27日に日本初のシュガーハウス「メープルベース」がオープンした時には、起業からのかつてないほど慌ただしい日々を振り返り、「よくできたな。これって奇跡かも」とひとり感慨に浸ったという。
川内イオ