理屈抜きで胸の内に熱い火が灯った井原さんは、年が明けた2014年の1月、会社に辞意を伝えた。会社の人たちだけでなく、NPOや組合の関係者にも考え直すように諭されたそうだが、それもそうだろう。NPOにも組合にも、専任で人を雇う資金などない。会社を辞めた後にどうやって稼ぎ、なにで食べていくのか、なにも決まっていなかったのだ。
その状況でよく踏み切れましたね、と言うと、井原さんも首を傾げた。
「ほんと、そうですよね」
仕事の引き継ぎなどもあり、会社を辞めるのは半年後の6月に決定。退職が正式に決まると、周囲の心配をよそに動き始めた。カエデから樹液を採取できるのは1月の末から3月にかけて。そのシーズンは、自らポリタンクを背負って作業を手伝った。
その後の4月には、有給休暇を取って2週間ほどカナダのオンタリオ州に滞在。メープルシロップを作る農家や樹液採取の現場などを見て回った。この時に初めて存在を知ったのが、シュガーハウス。メープルシロップを加工するだけじゃなく、売店を兼ねたカフェがあり、森のガイドツアーなども行われていた。カナダでも製造に手間暇がかかるメープルシロップは高級品だが、こだわりを持って買い求める人がいて、地場産業として成り立っている。そこにはカエデとメープルシロップを中心にした文化が根付いていた。
これこそ自分たちの活動が目指すべき姿だ! とピンときた井原さんは帰国後、シュガーハウスの建設を提案。すると、組合のメンバーも乗り気になり、建設プロジェクトが立ち上がった。
川内イオ