帰る直前に、ツリーハウスに登らせてもらった。屋根の上からは遥かな地平線が見事な夕焼けに包まれていた。夕焼けの向こうには、蔡さんが対話をしたいと望んできた宇宙があって、おーい! おーい! と遠くにいる誰かに呼びかけたくなる。 もし、この美術館に行く人がいたならば、蔡さんのあの言葉を見つけてほしい。
この土地で作品を育てる
ここから宇宙と対話する
ここの人々と一緒に時代の物語をつくる
時を経て、この言葉はますます強烈なメッセージを放つ。まさに今、ひとつの「時代の物語」が生まれようとしている。
9万9千本の桜がいっせいに花を咲かせたら、宇宙、あの遠い遠い空からも見えるだろうか。もしそうだとしたら、いわきは不毛の大地などではなく、命があふれる恵みの地に見えることだろう。
そして、桜の海に浮かぶあのサケマス船。今やその骨組みすらもゆっくりと朽ち果てようとしている。あの船を想い浮かべると、いつも灯台の光がまぶたの中を廻る。いい時も、悪い時もひとつの道標になる力強い灯り。
蔡さんは、地平線プロジェクトから13年後に、テレビ番組の中でこう話したそうだ。
いわきの人たちと協力して成功させた地平線プロジェクトは、決して忘れることのできないことです。あれは、いまの僕の原点とも言えます。実践することの聖域です。
蔡さんにとっては、いわきこそが出航の地を指し示す灯台なのだ。だから世界的なアーティストになった今でも、桜前線をチェックして、毎年この場所に戻ってくる。 いわきの時代の物語は、これからもずっと続いていく。いつしか高台の船も崩れ落ちて、大地に戻る日がくるだろう。その頃には、たくさんの怒りと悲しみはめぐりめぐって、かわるかもしれない。一条の光に。
川内 有緒