震災が起こるとすぐに、蔡さんは自身の作品をオークションにかけ、家や仕事を失ったいわきチームに送金した。そして実際にいわきにやってくると「どこかに空いている家はないですか、そこを美術館にしましょう」と提案する。それを聞いた志賀さんは、「いやあ、お金もかかるし、もっと手軽な感じがいいんじゃないですか」と答えた。すると帰る直前になって蔡さんは一枚のスケッチを志賀さんに見せた。
「回廊はどうですか。中国では昔は回廊に絵を展示して、それが画廊になったんですよ」
蔡さんらしい大胆な再提案だった。
龍のように曲がりくねった回廊。里山に囲まれた緑溢れる空間。音楽を聞いたり、お餅をついたりする場所。
それは、楽しいかもしれないなあと志賀さんは思った。いわきと蔡さんの物語は、海から山に舞台を移した。そして、山を伐採した地元の木々と400人のボランティアの働きによってこの回廊美術館が生まれた。
2013年のオープンの日は、蔡さんも火薬ドローイングの公開パフォーマンスを行い、大勢の人で賑わった。志賀さんは、プロジェクトのHPに想いのたけを書いた。
万が一いわきに住めなくなった時でさえ、いわきの土地を愛していた人達の気持ちが伝わるくらい、沢山の桜の木を植えたいと思っています。飛行機から見てもわかるくらいたくさんの思いを込めた木を植えたいです。
いま美術館をとりかこむ山々には、3千本の桜が植わっている。歩いて回ろうと思えば本格的なハイキングシューズが必要になるほど広い。週末ともなれば、いわき内外からボランティアが三々五々現れて、草刈りや、遊歩道の整備、薪割りを手伝っていく。このプロジェクトは、まるで巨大な生き物のように成長しつづけている。 そして、あの地平線プロジェクトの時に苦労して掘り出した廃船も、縁あってここに戻ってきた。あ、やっぱり灯台なのだと思った。日本をぐるりと照らした光が、再びいわきに戻ってきた気がしたのだ。
川内 有緒