ああ、よかった、めでたし、めでたし! などと言ってあっさり終わらないのがこの物語である。
「えっ、まだ続きがあるんですか」と回廊の写真を眺める私は声をあげた。本編には次の章があるのだ。
地平線プロジェクトから十年が経った2004年のこと。志賀さんのところに蔡さんから、「作品に使いたいから、また船をプレゼントしてくれないか」と連絡が入る。志賀さんは15トンもある巨大な漁船を掘り出した。送り先は、アメリカの首都ワシントンにあるスミソニアン博物館だった。
「そんで、みんなで行ったんだよ」(志賀)
「えっ!? どこに? 誰が? アメリカですか!?」(川内)
船をコンテナで送るには、一度バラバラに解体せざるをえない。すなわち現地で組み立て作業が必要になる。そこで、「よし、行って蔡さんを手伝うべ!」と7人のいわきメンバーが渡米を決めたのだそうだ。私は、「すごい! すごい!」と、その心意気に感激を隠せなかった。
税関で引っかかった船は、開会の36時間前にようやく会場に到着した。志賀さんたちは、美術館に泊まり込んで必死に船を組み立て続けた。
その時のおもしろいエピソードが残っている。
作業が始まってしばらくした頃、志賀さんはふと気になり「蔡さん、私らの保険(作業中の事故などに備えて)入ってっけ?」とたずねた。「え? 入ってません」という答えを聞き、「じゃあ、日本に連絡して加入するよ」と言った。それを知った蔡さんは、いや私がやりますと言って、すぐに保険加入の手続きを行った。そして「ねえ、志賀さん、どうして最初に保険の話をしてくれなかったんですか」と訴えた。そこで志賀さんはこう答えたそうだ。
「俺は、手伝ってくれる人を保険に入れるのは、“義務”じゃなくて、“愛情”の問題だと思ってるんだ。自分から、『俺に愛情あっか』みたいなこと聞けないだろう?」
へへ、といま思い出しながらも照れている志賀さんは、とてもかわいらしい。志賀さんは、蔡さんが大好きなのだ。
蔡さんは、「はあ、愛情ですか」と答えた。
その翌朝のことである。夜を徹して作業を続ける7人に、美術館から朝食がふるまわれた。蔡さんは、「ねえ、今日は朝食が出たでしょう!」と嬉しそうやってきた。どうやら蔡さんが特別に依頼したらしい。「美術館の人に、どうして朝食が必要なんですかって聞かれたから、僕は『愛情の問題だ』って答えてやりましたよ!」という蔡さんは得意顔だった。それは、彼らしいお詫びの方法だった。そうやって、作品「いわきからの贈り物」は開会式に直前に完成にこぎつけた。
その後、「いわきからの贈り物」は、カナダやフランス、スペインなど世界7カ国の美術館で展示され、百万人以上もの人に鑑賞された。そして、展示のたびに「楽しそうだから行くべ!」という展開になり、志賀さんたちはすべての美術館で組み立て作業を行ってきた。いつの頃からか、志賀さんたちは「いわきチーム」と呼ばれるようになって、どこでも大歓迎を受けた。
ある時点から、いわきチームにもきちんと謝礼が支払われるようになった。蔡さんいわく「この人たちも作品の一部ですから!」とのことだが、本当のところをいえば、これも「愛情の問題」なのかもしれない。
そして2011年3月、東日本大震災が起こった。今度は、蔡さんがいわきへと贈り物をする番がきたのだった。
川内 有緒