未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
56

空から桜が見えますか

〜『いわき回廊美術館』を作った男たち〜

文= 川内有緒
写真= 川内有緒(特にクレジットがあるもの以外)
未知の細道 No.56 |10 December 2015 この記事をはじめから読む

#6七枚の絵をめぐって

 蔡さん(左)と志賀さん(右)。ふたりは国境を超えてずっと友人だ。(撮影:小野一夫)

 さて、いわき回廊美術館の話に戻ろう。
 蔡國強さんと志賀さんのふたりが初めて出会ったのは、1988年のことである。その頃の志賀さんは会社経営者で、一方の蔡さんは筑波大学の貧乏留学生だった。四畳半の家に奥さんとふたり暮らしをしながら、こつこつと誰にも注目されない作品を作っていた。
 『ギャラリーいわき』のオーナーは、その火薬を利用したダイナミックな作品を見るなり、激しく心を動かされた。「火薬画」と呼ばれる蔡さん独特の世界である。無名ながらも大きな可能性を感じたオーナーは、すぐにいわきの自分の画廊で個展を開かないかと声をかけた。
 個展の開催中、画廊のオーナーは、蔡さんを応援しようと「この人はきっと有名になる。作品を買っておくといい」と必死に知り合いを口説いてまわった。志賀さんも、付き合いのつもりで快諾した。美術に対してまるで関心がなかったので、作品は見もしなかった。
「7枚で200万円だったな。でも子供たちが気持ち悪がったので、絵はすぐにしまいこんでじゃった。はっはっは!」(志賀さん)
 生活費にもこと欠いていた蔡さんは、とても喜んだ。志賀さんに会うと「どうして絵を買ってくれたんですか」と嬉しそうに尋ねた。志賀さんは、「いやあ、だって、頼まれたからだあ」とどこまでも正直に答えた。大陸的でおおらかな性格の蔡さんは腹を立てることもなく、ふたりは良き友人になった。
 ちなみに、それらの小作品は、もし今売却すれば都心に大きな家が建つほどの値がつく。しかしながら、志賀さんの作品に対する態度は一貫している。すなわち「ああ、きっとその辺に転がってるべ」という感じだ。
 その後、蔡さんは少しずつ現代美術家として認められるようになっていく。それでも彼は、「いわきの人々は、自分を芸術家として出発させてくれた」と感謝し、中国のお茶をお土産に携えて時々顔を出した。

このエントリーをはてなブックマークに追加


未知の細道 No.56

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。