未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
56

空から桜が見えますか

〜『いわき回廊美術館』を作った男たち〜

文= 川内有緒
写真= 川内有緒(特にクレジットがあるもの以外)
未知の細道 No.56 |10 December 2015 この記事をはじめから読む

#12いま“ここ”から500年後の未来へ

 しかし志賀さんは、今は大勢の観光客を集めることがここの目的ではないという。
「いま来て欲しいのは、草刈りとか、植樹をするとか、自分の体を使って物事を感じたいという人だけだな。たくさんの人が来て騒がしくなっても、近所迷惑なだけだ。いまは、このプロジェクトがストップしてしまうのが一番困るんだ。観光客が来るのはもっとプロジェクトが進行した、そうだな、30年後くらいがちょうどいいんだ」
 なるほど、言いたいことわかりますけどムリですよ、と私は苦笑した。こんなに魅力的な場所を無料で公開したら、みんな来ちゃうに決まってるじゃないですか。
 しかし、そこに続いた志賀さんの言葉には、ぐうっと胸が詰まった。
「……これは自分の精神を穏やかにするものであって、お客さんに来てもらうためのものではないんだ。怒りを鎮めていくものなんだ」
 ああ、この地には、想像を絶するような不安、怒り、後悔、そして悲しみが雪のように日々降り積もる。私も、母がいわきの出身なので、ほんの少しだけだがその痛みを共有している。しかし、と志賀さんは穏やかに言った。誰かが小さな苗木を植えるたびに、その怒りが静まっていく気がするんだよ……。
「桜を一本植えたら、500年の寿命がある。桜を植える瞬間は、誰もがその瞬間に“ここ”にいて、将来に思いを馳せることができる。この先どういう手を施していけば、500年先にも花を咲かせるかなって考えるでしょ。そういうスタート地点を提供できるかなって思ってる。世界一の名所っていうのは、個人個人のそういうエネルギーを持ってる名所っていうのもあんだよ。だから、一人で10本植えたいとかいう人には、あんたに必要なのはそういうエネルギーじゃないんだよ。数は少なくともしっかり考える足かがりになってくれと。そういうことだ」
 何時間も話を聞いて、ようやく私は志賀さんの胸のうちにそっと触れた気がした。確かに、この場所は素晴らしい力に満ち溢れている。それは、目には見えないけれど、確かに感じることができる。3千人が汗を書きながら未来を想像したこと。子どもたちが絵を書いたこと。みんなが笑いながらツリーハウス作ったこと。そういうすべてが、大きなエネルギーに転換されて、優しく大地を包みこむ。
 だからこの先も、プロジェクトに公的資金を入れようという発想は一切ない。
「小銭もらってあーだら、こーだら言われんのやだべ。3千万(円)、4千万(円)くらいで、こんなに楽しいことにツベコベ言われたくないべ!」
 ブラボー!と心の中で拍手喝采した。


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未知の細道 No.56

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。