現在65歳になる志賀さんは、いわきの農家に生まれた。戦争が終わった直後の貧しい時代で、家族が農作業をしいる間は、野山を駆けまわったり、自分たちで遊びを考案したりして楽しんだ。
「生きるのに必要なものはなんでも作れるよ。柚子胡椒、干し柿、なんでも。親父が農家だったから、木を切るとか、家を直すとか、全部自分でやるのが当たり前。できないことがマズイみたいな」
だから手先がとても器用で、美術館に二箇所あるツリーハウスやブランコもすべて自作だ。設計図はない。「ここどうすんだべ」「あそこ、どうすっか」と仲間と試行錯誤するのが楽しくてしかたがない。そんな賑やかな手作業に惹かれて、多くのボランティアが集まってくる。志賀さん流の人生の楽しみ方が、強い引力になっているのだ。
「おーい、こっちきてみ!」
と呼ばれた先には、素晴らしい眺望の露天風呂とサウナが現れた。燃料は薪だ。
「おお! 素敵ですね。誰がここを使えるんですか!?」と聞くと、「会員だけ!」というツレない返答だ。「じゃあ、会員になるにはどうしたらいいんですか」と鼻息荒く聞けば、ハードルが高いのか低いのか、「5回草刈りをすることだ!」とのこと。さすがである。
実はこの薪のサウナは、志賀さん自身が40年前に作ったものだ。まだ二十代の頃、彼はここに小屋を建て、薪で炊事をし、お金や電力をなるべく使わない自給自足ライフを送っていた。お金がないと本当に人は生きていけないのか、という疑問から端を発した人生の実験だった。
「なんでみんな行きたくもない会社に行って、お金稼いで、休みになったら楽しむ、みたいなことするのかなあって。だったら最初から自由にしていたらいいんじゃないか!みたいな。電気代とかアパート代とか払わなくていい生活を試してみた」
愛犬だけが仲間の自給自足を5年間も続けて、たどりついた答えは。
「ま、結論は、お金がなくてもまあったく問題ないぞー!みたいな」
日本が高度成長に向かって一丸となっている時代に、けっこう過激な生き方だったのではないだろうか。そう感想をつぶやくと、彼はキョトンとした。
「そんな客観的に自分のことを見たりしないよね。やりたいことをやるだけ、余分なことを考えない。人からどういう風な判断をされるというのは、余分なことだから。そんなことに時間をとられるよりは、サウナをどんな風に作ったらもっと汗かけるかなあ、みたいなこと毎日考えるんです」
川内 有緒