電撃に打たれたように、「これしかない!」と直感した杉山さんは、すぐに動き始めた。まずは上司に「故郷でピーナツバターを作ることにしたから、仕事を辞める」と宣言し、唖然とされながらも半年後に辞めることを決めた。
その間に、日本に一時帰国して世界一を取った落花生、遠州で古くから栽培されていた在来種の「遠州半立ち」(通称・遠州小落花)の種を探した。
すると、意外なことに遠州小落花を栽培している農家が存在しなかった。なぜ? と疑問を抱きながら、1904年の万博に出品した当時の資料を求めて立図書館や郷土資料館を訪ね、文献を漁って組合で品評会に出品していたことと、組合のメンバーを突き止めた。
そのメンバーをリストアップして、当時のメンバーの子孫を探し出した。ひとりひとり当たっていくと、ある人が「当時の畑をそのままにしてあるから、毎年自生してるよ」と教えてくれた。手に汗を握ってその畑にいくと、雑草が生い茂る耕作放棄地で、土のなかになっている小ぶりの落花生が見つかった。それこそが、遠州小落花だった。
許可を得てすべての種を持ち帰った杉山さんはすぐに、栽培してくれる協力者を探した。しかし、アメリカで会計士をしているという男から、種にするとたったお茶缶一杯分の遠州小落花を育ててほしいと頼まれて受け入れる農家などそうはいない。
「もともと農業をするつもりはなかった」という杉山さんは、100年以上も放置されながらひっそりと命をつないでいた種を手にして腹をくくった。「自分で作るしかない」。30歳の決断だった。
未知の細道の旅に出かけよう!
プランの旅 1泊2日
予算の目安1万5千円〜
※本プランは当サイトが運営するプランではありません。実際のお出かけの際には各訪問先にお問い合わせの上お出かけください。
川内イオ