今でもスタッフは、月に一度は会議を続けている。
「もう一年中、会議やってますねー! 終わると打ち上げや集計とかがあって、年を開けるともうその年の企画が始まる」という中村さんは楽しそうだ。
柳原さんも、たびたびバイクで応援にやってきて、柏原さんは引き続き映画会社との交渉や映写を担当。中村さん自身は、近隣のペンションとの調整など、「原村の人間としてできること」を全てやっているという。人手が足りないという連絡があればすぐに駆けつけられるのも地元の人ならでは。
「こうして続いてきたんだから、もはや自分たちの問題などで勝手にやめちゃいけないと思いますね。色々なイベントが終わってしまったからこそ、とにかく続けることが大事だと思っている」と中村さんは決意を新たにする。
最初は五人だったボランティアも、五十人の大所帯になった。「1日だけだけど、チラシをくばります」という人もいるが、それも大歓迎。ほとんどのメンバーが、子どもの頃に映画祭で映画を見て感動したという人々だ。
以前は原村近辺のお客さんが圧倒的に多かったが、今は遠方や東京からも来るようになった。
「服装を見ただけで遠方からきたなってわかりますね。半袖、短パン姿だったとか。夜はぐっと冷え込みますから、地元の人間からするとありえないんですよ。だいたい帰るときはブルブル震えてます。ホームページにも『寒いです』って一生懸命書くんですけどねー。あったかいコーヒーを出したり、ブランケットの貸し出しもやっています。逆に、確実にプロだなってっていう人もいますね。もう山の装備なんですよ。リュック背負って、折りたたみの椅子持って、レインジャケット持ってきてる。雨の日でもすごい装備持ってちゃんときますからね」
復活から今年で八年。
お客さんは増え続け、昨年はついに述べ1万人近くを動員。
ついには、入場を断らざるを得なくなった映画も出てきてしまった。嬉しい悲鳴である。
川内 有緒