シネコンの影響は、様々なことに及んだ。
「他の映画館にも、シネコン同様のサービスが求められるようになりました。ただ上映していてもだめで、ポップコーンに駐車場、予約ができないとダメとか。でも、こういったサービスや施設に資金を投入できない映画館は、独自の発想で勝負するしかない。お金をかけないで、そこにあるものでお客さんを呼ぶことができないかと考え始めました」
そこで、新たな試みとして始めたのが、「爆音映画祭」。
爆音といっても、ただ音が大きいだけではない。
「バウスシアターは落語やライブもするので、ライブ用の音響機材もあった。ライブ用の機材は、音圧や音の出し方が映画用とはまるで違うんです。わかりやすくいうならば、馬力がある。そこで、ライブ用の機材で映画を流したらと思いついた従業員がいました」
そこで、ライブ映画や音の演出にこだわった映画をまとめて映画祭として上映したところ評判を呼んだ。この時の経験がのちに活かされることになるわけだ。
そんな頃、武川さんは地元の友人から、「原村のスターダストシアターが休止になったよ」と耳にした。
──ああ、あの野外映画祭か。そういえばあったなあ。
武川さんは、迫力満点の『ジュラシック・パーク』をなつかしく思い出した。ただ、その時に感じたのは、ちょっとした郷愁以上のものではなかったとう。
ところが、しばらく後に運命の電話がかかってきた。
電話の主は、かつて吉祥寺バウスシアターでアルバイトしていた秋山良恵さん。
彼女の地元は、長野県の原村。当時、秋山さんは原村に戻り、家業を継いでいたのだが、かつて映画館で働いた経験を生かしたいと考えていた。そこで──。
「休止になってしまった『スターダストシアター』を復活したい、武川さんも手伝ってくれないか」というのが電話の趣旨だった。
川内 有緒