未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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八ヶ岳の麓の「星空の映画祭」

星が煌めく夜は、映画の魔法にかかりたい

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
一部写真提供= 星空の映画祭
未知の細道 No.95 |25 July 2017
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#6誰が映画祭をやっていたのか?

映画祭が行われる八ヶ岳自然文化園。広い敷地にはプラネタリウムやレストランなどいろいろな施設があるので一日中楽しめそう。

 さて、何も知らない武川さんは、秋山さんからの電話に興味を惹かれ、「自分も何か手伝えることがあれば」と協力を約束した。
 しかし、肝心の映画祭は、誰が運営していたのかは秋山さん自身も知らなかった。
「ネットで検索してみても、ほとんど主催者情報は出てなかったんです。だから誰がやっていたのかをまずは調べようということになり、帰省した時に調べ始めました。調べるっていっても、ひたすら原村近辺の人に聞き込みです。すると、不動産業やペンションを営む柳平二四雄(やなぎだいらふじお)さんという男性が運営していたことがわかりました」
 住所も判明したので、さっそく自宅を二人で突撃することに。

 緊張しながらインターフォンを押したが、家の中は静かだった。留守のようなので、その日は手紙を置いて帰った。
 ドキドキして待つこと二日、柳平さんから「留守にしていて会えず申し訳なかった。手紙をもらえて嬉しかった」と連絡が入り、後日会う約束を取り付けた。

 その時、武川さんは、映画祭を自分自身で復活させる決意をしていたのだろうか?
「いや、ぜんぜん。ただ、『自分は映画館で働いていて、爆音映画祭の経験もあるので、復活してもらえたらなにかお手伝いくらいはできる』と言うつもりでした」
 ところが、実際に柳平さんに会うと、「復活してください」とは言い出しづらくなったそうだ。柳平さんはもう六十代後半で、「自分たちはもう高齢だし、映画祭に必要な資金を集めるのも難しい。それにお客さんも減ってきている」と話す。休止になる直前の年は、柳平さんは、資金作りのために自分の車を売ることまで考えたという。

 そして話す中で、これまでの映画祭は、茅野駅の近くにある映画館、新星劇場の館長の柏原昭信さんと二人でやっていたことがわかった。この地域では唯一の映画館である。
 それを知った武川さんは、すっかり驚いてしまった。彼から見るとかなり大規模な映画祭だったのに、たった二人の“普通のおじさん”が映画への情熱のみを糧に二十年も続けていたのだ。 
 最後に、柳平さんはこう言った。
「実は、お前たちみたいな若いのがくるのを待ってたんだよ。やる気があるんだったら、映画館の館長につなげてあげるから行っておいで」
 そう背中を押してくれた。
 思いがけずバトンを渡された二人は、今度は新星劇場の柏原さんを訪ねることになった。

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未知の細道 No.95

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

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「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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