未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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職業欄は冒険家!?

山形の大自然が生んだ冒険家・大場満郎さんの「死ぬまで輝いた目で生きる」という人生の挑戦

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.129 |10 January 2019
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#4鷹匠の教え『好きなことをやらないと、笑って死ねない』

大人になった大場さんは、農家を継ぎ、米や野菜を作り始めた。自然のなかで体を動かすことが好きだったので、農業自体が嫌だったわけではなかった。しかし、その一方で冬の出稼ぎ労働には、気が滅入った。

集落が深い雪に閉ざされる冬の間、男たちは誰もが都会に出稼ぎに出た。何ヶ月も家族と離れて暮らし、道路工事や下水道工事で現金を稼ぐ。そして、また春になると村に戻るのだ。

家族や周囲に「出稼ぎに行きたくない」と言えば、「バカ、出稼ぎにいかないと食っていけねえぞ!」と叱れた。
「このまま死んでいくのかと思ったら息がつまりそうになってね。ある日、下水道工事の現場で冷えた弁当食べてたら、じっちゃんが俺に言ってた『好きなことをやらないと、笑って死ねないぞ』っていう言葉が蘇ってきたんだ」

そうして、大場さんの旅が始まった。

時は70年代で、まだ海外旅行が珍しい時代だ。初めて行ったのは西ヨーロッパ。パリの空港で言葉が通じず、急におじけずいて、偶然に見かけた日本人ビジネスマンのスーツの袖にしがみついて、助けてもらったという。親切なその日本人は、「大場さん、もうこのまんま日本に帰った方がいいんじゃないですか」と忠告した。それほど大場さんが不安そうに見えたのだろう。

しかし、大場さんは旅を続行。西ヨーロッパを巡って山形に帰ったものの、また別の国を見て見たくなり、アフリカに向かった。
「ケニアのナイロビの近くの草原で寝てたらさ、頭のところに置いていた靴がないんだよ。ポリスに行って靴屋はどこだって聞いたら、今時マサイ族だって靴を履いてるぞーなんて言われちゃってねー、ハハハ」
大場さんは地元の村に戻るとその経験を話してまわった。しかし、ほとんど誰も興味を持ってくれず、むしろ奇人扱いされたという。

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未知の細道 No.129

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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