未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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職業欄は冒険家!?

山形の大自然が生んだ冒険家・大場満郎さんの「死ぬまで輝いた目で生きる」という人生の挑戦

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.129 |10 January 2019
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#2『未知の細道』を通じて大場満郎さんに出会う

北極海横断時の大場さん(左)とベースマネジャーの志賀さん(右)
©️Hiroko Saitou

やや長くなるが、わたしが大場満郎さんを知ったきっかけについて少し書きたい。
振り返るとそれは、南極大陸横断した後に大場さんが書いた本(『南極大陸単独横断行』)を読んだときのことだった。いまから17年も前である。

当時わたしは東京で会社員として働きながら、旅や冒険に関するノンフィクションを好んで読んでいた。会社員としての激務とフラストレーションを本の世界で紛らわせていたのだろう。

へえ、こんな人が日本にいるんだ! とずいぶん感銘を受けた。もちろん、この時は自分がこの冒険家を後にインタビューすることになるなんて、想像できるわけもなかった。その後、わたしは日本の会社を辞め、パリに移り住み、国連職員として働き始めた。そんなこともあり、時が経つと共に大場満郎さんのことはすっかり忘れてしまっていた。

ところが、2015年の秋のことだ。
国連を辞めてフリーのライターになったわたしは、再び大場満郎さんの名前と巡り会うことになる。それは、この『未知の細道』の取材の真最中。「いわき回廊美術館」を訪ね、福島県いわき市に志賀忠重さんを取材に行った時のことだった(第56回『空から桜が見えますか 〜いわき回廊美術館を作った男たち〜』)。
【未知の細道】No.56 空から桜が見えますか~『いわき回廊美術館』を作った男たち~ はこちら

その秋晴れの日、里山にうねうねと伸びる形状のユニークな美術館を訪ね、世界的アーティストの蔡國強さんと志賀忠重さんの三十年にも及ぶ交流の話を聞いた。そして、取材が一段落したときに、志賀さんがふっとこう言った。
「俺は冒険家のサポートをするために北極に行ったこともあるんだ」
え? なんだって? 冒険ですって? 
そのとき私は、4時間にも及ぶ取材でヘトヘトだったのだが、“冒険”という言葉には激しく反応した。
「いいですねー! わたし、生まれ変わったら冒険家になりたいんですよ」
そう答えると、志賀さんはその「冒険」の話を始めた。

その冒険家が、大場満郎さんだった。そして志賀さんがサポートしたと語る「冒険」こそが、大場さんの最大の功績、1997年の人類初の単独徒歩による北極海横断のことだった。その当時、志賀さんは氷に囲まれたカナダの最果ての村・レゾリュートに長期滞在し、物資の補給や連絡など後方支援を行ったというのだ。

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未知の細道 No.129

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。