やや長くなるが、わたしが大場満郎さんを知ったきっかけについて少し書きたい。
振り返るとそれは、南極大陸横断した後に大場さんが書いた本(『南極大陸単独横断行』)を読んだときのことだった。いまから17年も前である。
当時わたしは東京で会社員として働きながら、旅や冒険に関するノンフィクションを好んで読んでいた。会社員としての激務とフラストレーションを本の世界で紛らわせていたのだろう。
へえ、こんな人が日本にいるんだ! とずいぶん感銘を受けた。もちろん、この時は自分がこの冒険家を後にインタビューすることになるなんて、想像できるわけもなかった。その後、わたしは日本の会社を辞め、パリに移り住み、国連職員として働き始めた。そんなこともあり、時が経つと共に大場満郎さんのことはすっかり忘れてしまっていた。
ところが、2015年の秋のことだ。
国連を辞めてフリーのライターになったわたしは、再び大場満郎さんの名前と巡り会うことになる。それは、この『未知の細道』の取材の真最中。「いわき回廊美術館」を訪ね、福島県いわき市に志賀忠重さんを取材に行った時のことだった(第56回『空から桜が見えますか 〜いわき回廊美術館を作った男たち〜』)。
【未知の細道】No.56 空から桜が見えますか~『いわき回廊美術館』を作った男たち~ はこちら
その秋晴れの日、里山にうねうねと伸びる形状のユニークな美術館を訪ね、世界的アーティストの蔡國強さんと志賀忠重さんの三十年にも及ぶ交流の話を聞いた。そして、取材が一段落したときに、志賀さんがふっとこう言った。
「俺は冒険家のサポートをするために北極に行ったこともあるんだ」
え? なんだって? 冒険ですって?
そのとき私は、4時間にも及ぶ取材でヘトヘトだったのだが、“冒険”という言葉には激しく反応した。
「いいですねー! わたし、生まれ変わったら冒険家になりたいんですよ」
そう答えると、志賀さんはその「冒険」の話を始めた。
その冒険家が、大場満郎さんだった。そして志賀さんがサポートしたと語る「冒険」こそが、大場さんの最大の功績、1997年の人類初の単独徒歩による北極海横断のことだった。その当時、志賀さんは氷に囲まれたカナダの最果ての村・レゾリュートに長期滞在し、物資の補給や連絡など後方支援を行ったというのだ。
川内 有緒