いわきでの取材の1年半後、わたしはいわき回廊美術館をめぐる30年を描いた本(『空をゆく巨人』)を書き始めた。主人公・志賀さんにとって、大場さんとの出会いは人生の中で大きな出来事だったということがわかったので、自然に大場さんにもインタビューすることになった。
人生の巡り合わせって不思議だ。
縁がある人には、世界のどこかで会えるように仕組まれているのかもしれない。
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大場さんが運転する四輪駆動車の車窓の景色は、どんどん白一色に埋め尽くされていった。遠くに見える山もすっぽりと雪に覆われ、目を奪われる。東京の人間にとっては、一面の雪景色は非日常だ。せっかくだから、もっと雪が降らないかなと思った。
車中でわたしは大場さんに質問を始めた。
「いつ頃、“俺は冒険家だ”という自覚を持ったんですか?」
「いやあ、みんなが冒険家だって言うからさあ、俺は冒険家なのかなって思い始めただけで、『いつから』っていうのはないんだよ。俺の場合はさ、旅から始まったから」
そう、大場さんは「俺は冒険家になるぞ」と志したことはなかった。どちらかというと、人生を模索しながら世界をウロウロとするうちに、気がつけば冒険家になってしまった、というあたりが正しいだろう。
もともと大場さんは、農家の三人兄弟の長男として生まれた。
「若い頃は鷹匠になりたかったんですよー」という大場さん。
しかし、当時は、農家の長男であるが鷹匠になる、という選択はないに等しかったそうだ。そもそも鷹匠は、集落では変わり者扱いされていた。それでも少年の大場さんには、憧れの対象だった。
「鷹匠のじっちゃんは、好きなことを夢中でやってたんですよ。鷹と一緒に寝起きして。お金ないのに馬肉を買ってきて、鷹に食わしたり。近所の人からあいつはバカだって言われて。でもじっちゃんと一時間も喋ってたら、俺はいつも勇気りんりんだったよね!」
じっちゃんは、まだ少年だった大場さんにこう語った。
「好きなことをやらないと、笑って死ねないぞ」
その鷹匠の名は、沓沢朝治さん。第12回「未知の細道」に「最後の鷹匠」として登場した松原秀俊さんの師匠でもある。
【未知の細道】No.12 ひとり伝統を守り続ける日本最後の鷹匠 孤高の道を、鷹とともに[前編] はこちら
【未知の細道】No.13 ひとり伝統を守り続ける日本最後の鷹匠 孤高の道を、鷹とともに[後編] はこちら
川内 有緒