さてこのダムプランは、ほぼ休みがない……というのが唯一の欠点なくらい、一泊二日のうちにダムにまつわるイベントが盛りだくさんに詰まっていた。豪華な夕食を終えると、次はすぐに、高草木さんがガイドするバスに乗って、夜の奈良俣ダムへと出かけるのだ。明日の放流を前に、今夜は特別に奈良俣ダムがライトアップされているという。山奥の、夜中のダムなんて滅多にいけるものではない。一体どんな光景が広がっているのだろうか。
真っ暗な道を進むバスの中で、私はつい10年くらい前まで「ダムはムダ」なんてダムが叩かれていた時代があったっけなあ、と思い出していた。ダムといえば、自然やコミュニティの環境を大きく変えるばかりの、無用の長物である、そんな論調が当たり前だったことを、皆さんは覚えているだろうか?
私は隣に座った三橋さんに、不遇の時代を経て、今なぜこんなにダムが人気になったのかを聞いてみることにした。
当時ダムの担当だった三橋さんは「このままじゃいけないなあ、ダムの大切な役割や必要性を押し付けがましく伝えるのではなく、まずはみんなにダムを好きになってもらいたい、そんな仕掛けはできないものか」と密かに考えていた。試行錯誤する中で、ダムを見て出かけることが大好きなマニアたちがいるということを知った。それは今よりもずっと数は少なかったが、熱烈なダム愛好者ばかりだった。
彼らに会って話をしてみたい! そう思った三橋さんは仕事仲間である独立行政法人水資源機構の職員に頼んで、二人のマニアと会うことになった。その一人がカリスマ・宮島さんなのだ。マニアたちとの会話の中で、ヒントを得た三橋さんは、早速「ダムカード」というものを作り、配布し始めた。2007年のことである。
ダムカードは表面はダムの写真、裏面はダムの型式や貯水池の容量などのほかマニアックなものも含めた様々な情報を載せている。
三橋さんがこだわったのは、ダムを見に来た人には管理所の職員がきちんとダムカードを手渡しする、というルールをまじめに守ってもらうことだった。管理所にしかないカードをゲットすれば、わざわざダムを見に来て、もらえた! という達成感がある。きちんと手渡しすることで、管理所の人たちとのコミュニケーションも生まれる。こうしてじわじわとダムカードとダムの人気は上がっていき、今は国土交通省と水資源機構の管理するダムのほか、40以上の都道府県や発電事業者の管理するダムでも配布している。
そんな話をしているうちにバスは奈良俣ダムへとたどり着いた。日本有数の体積を持ち、石を積み上げて壁を作るロックフィルダムという型式の奈良俣ダムは、遠くから見ても岩の白さが際立つ、その美しさも人気のダムである。
ダムの脇にある資料室、ヒルトップ奈良俣の前で、ダムカードを配っている職員さんを探し出して、まずはダムカードをゲットした。ヒルトップの中では、町役場の澤浦さんたちも観光客をお出迎えし、サンバードの高草木さんはガイドトークを行っていて、これまた盛況であった。
さてダムの洪水吐きの下まで行く。三橋さんが「今年は雪解け水が多いので、自然と放流が始まっているんですよ。だから今日はライトアップの上に放流も見られてラッキーなんですよ!」と笑って教えてくれた。
昼間の藤原ダムの豪快な放流とは違って、大きくて、かつなだらかな形状の奈良俣ダムの放流は、ゆっくりと、静かに水が滑り落ちるように流れていく。暗闇とわずかな明かりも相まって、水の音が創り出す不思議な空間に私は引き込まれていった。
これは水のトランスだ。ずっとこの音を聞いていられるなあ。振り返ると周りのみんなもどうやら同じ気持ちのようだ。私たちはうっとりと、途切れることのない放流の音に耳を傾けていた。
松本美枝子