未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
85

日本陶磁器・発祥の地 有田町に暮らす人々(前編)

陶磁器の町を支える職人さん お隣り同士の生地屋と型屋

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.85 |25 February 2017
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#10藤さんと山辰さん

 こんなに難しい仕事を、二人は一体どうやって学んでいったのですか? と私は聞いてみた。

 すると藤さんが「いやー教わって覚えるもんじゃなかけんねえ、おいも高校を出てすぐ親父が死んでしまって後を継いだけん、高校生の頃ちょっと手伝ってたり見たりしただけのことを思い出しながら、あとはずっと自分で研究してやってきたね」それを聞きながらウンウン、と山辰さんも頷いている。

 二人とも、「人それぞれ手や指の作りも違うからそれによって感覚が違う。だから教えられるもんじゃないし、とにかく作業をよく見てあとは自分の感覚で覚えてやっていくしかない」とにこにこしながら言うのであった。

厚みのデータを書き込んである、藤さんの生地のサンプル

 ちなみに山辰さんは高校を卒業後、京都の窯元で5年間修行した。

 え? 焼き物を作る方の仕事がやりたかったのですか? と聞くとそうではなかった。いずれ型屋を継ぐのであれば、焼き物を作る人の気持ちがわかった方がいい、それから外へ出て人見知りを直してこい! と言って社長である父親に外へ修行に出されたんです、と山辰さんは笑って言った。丁寧に私にいろんなことを教えてくれる山辰さんからはあまり想像がつかないが、子供の頃はとても人見知りで喋るのが嫌いだったらしい。

 山辰さんのお父さんのこの話からわかるように、分業制のラインの中で、自分たちが作ったものが次に渡った先のことを考えて作ることが、有田で仕事をする上で実は非常に大事な部分なのだ。型屋だったら生地屋さんや発注を受けた窯元や商社に、生地屋さんだったら窯元や釉薬などをかける職人さんたちにとって、使いやすくいいものが生まれるように渡していく。そのスピリットこそが、この町から、世界に誇る高い技術を400年の間、途切れることなく生み出していったのだろう。

いつでも同じ型が作れるように取って置いてある、山辰さんの図面

 藤さんが自分の親の代よりも今の方が、求められる形が複雑でシビアだから仕事そのものとしては現代の方が難しいのだという。

 「でも」と山辰さんがその話を受けて話し出す。「400年の技術の蓄積があるからこそ、できることなんですよね。だから現代の自分たちの技の方がすごい、なんては思わない」そう語る山辰さんの言葉に、藤さんも頷いていた。

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未知の細道 No.85

松本美枝子

1974年茨城県生まれ。生と死、日常をテーマに写真と文章による作品を発表。
主な受賞に第15回「写真ひとつぼ展」入選、第6回「新風舎・平間至写真賞大賞」受賞。
主な展覧会に、2006年「クリテリオム68 松本美枝子」(水戸芸術館)、2009年「手で創る 森英恵と若いアーティストたち」(表参道ハナヱ・モリビル)、2010年「ヨコハマフォトフェスティバル」(横浜赤レンガ倉庫)、2013年「影像2013」(世田谷美術館市民ギャラリー)、2014年中房総国際芸術祭「いちはら×アートミックス」(千葉県)、「原点を、永遠に。」(東京都写真美術館)など。
最新刊に鳥取藝住祭2014公式写真集『船と船の間を歩く』(鳥取県)、その他主な書籍に写真詩集『生きる』(共著・谷川俊太郎、ナナロク社)、写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎)がある。
パブリックコレクション:清里フォトアートミュージアム
作家ウェブサイト:www.miekomatsumoto.com

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。