有田について3日目、朝から小雪がちらついている寒い日であった。重要伝統的建造物群保存地区に選定されている有田内山地区、その一角にある「春陽堂」で佐々木さんが、深江さんに引き合わせてくれた。すらっと細くて背の高い深江さんは、有田町役場の商工観光課の職員だ。毎日朝5時に起きて走っているという深江さんは学生時代、早稲田大学の競走部に所属し、今も有田町の駅伝チームにキャプテンとして所属している、文字どおり「エース」である。ちなみに佐々木さんも同じ大学出身の3個下の後輩なのだそうだが、もちろん有田に帰ってくるまでは、二人は会ったことがなかったそうだ。今はこうして一緒に有田のまちづくりのために働いている、仲が良い同僚同士だ。
私が「有田の町の歴史について深く知りたい、みんながまだ知らない有田、というものがもしあれば、そういうものをテーマに作品を作ってみたい、というと、深江さんは、「わかりました。じゃ、僕のセレクトの有田でいいですか? 早速行きましょう」と立ち上がったのだった。
そこは町の中心地から少し外れた天神森という神社だった。鳥居の上の小さな丘を上がってみましょう、と言われて登る。茂みの中に目を凝らすと岩のようなものがある。それは岩ではなく、なんと古い古い窯跡なのだった。そして足元には400年前の陶器の欠片や、磁器らしき欠片がポツポツと散らばっている。なんの変哲もない場所に、本物の歴史が落ちているのか、と思うと、胸がジーンとするような感動があった。
「有田では、磁器が焼かれる前に陶器が焼かれていて、ここは、有田で陶器を作る技術から磁器を作る技術へと転換したことがはっきりとわかる土地なんです。有田=磁器の町だから、普通の観光客はめったに連れてこないところですけど、松本さんは、きっとこういう有田を見たいんじゃないかな、と思って」と深江さんは真面目な顔をしていった。
明日はまた違うところに行きましょう、という深江さんの有田町リサーチツアーに、私はこのまま乗っかることにした。そしてそれからの数日間というもの、普通の観光では決していけないような様々な作り手たちの仕事場や、歴史的な場所に、佐々木さんと一緒に連れて行ってもらったのだった。
松本美枝子