佐賀県有田町
日本陶磁器の発祥の地、佐賀県有田町。誰もが知っているこの町の、輝かしい技術と歴史の中で、実は知られていない部分にスポットを当てていく。有田焼は「分業制」が整っていて、陶磁器に関する様々なプロフェッショナルが細分化されている。有田町とは、焼き物の一つの大きな工場のようなものだと思ってもらうといいかもしれない。今回はその中でも、「生地屋」と「型屋」という一般の人には知られていない特殊な裏方の職人たちに注目する。
最寄りのICから九州自動車道「波佐見有田IC」を下車
最寄りのICから九州自動車道「波佐見有田IC」を下車
四方を山に囲まれた静かな町。この町に入ると、それまで続いていたよくある地方の郊外の風景が一変して、タイムスリップしたかのような古い街並みの中に、レンガの煙突が立ち並ぶのを見ることができるだろう。そう、ここが日本陶磁器の発祥の地、佐賀県西松浦郡有田町だ。
「有田焼」と言えば、あなたは、白くて薄い器の肌に描かれた、絢爛豪華な色とりどりの絵付の器を思い浮かべるかもしれない。あるいは初期伊万里(江戸時代、有田焼は隣接する伊万里の港から、世界各地へと輸出されたことから、江戸時代の有田焼のことを古伊万里とも呼ぶ。初期伊万里とは有田焼の初期作風のこと。)の染付(白地に藍一色で絵付けされていること)のシンプルな美しさを思い浮かべるのかもしれない。
そして有田焼が、江戸時代には鍋島藩の産業として日本各地に、いやドイツやフランスなどヨーロッパの王侯貴族にも珍重され輸出された日本が誇る伝統工芸品であることは、誰もがご存知のとおりだろう。
ここ有田町はそれまで磁器を作る技術がなかったこの国に、400年前に豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに鍋島軍に捕らえられて連れてこられた韓国の陶工たちが、その技術を日本へと根付かせた場所であり、長らく、日本産の磁器を生み出すことができた唯一の場所だったのだ。そしてこの町の製磁技術の高さ、生み出されるものの美しさは、400年経った今もなお、格別な場所なのである。
松本美枝子