実は、その廃校を使った作品は私も実際に見たことがある。2016年に開催された第一回目の美咲芸術世界の期間中、私はちょうど瀬戸内国際芸術祭の島々をめぐっていたので、好奇心で寄ってみたのだ。
あの日、瀬戸内海は汗ばむほどの暑さだったのに、山間部である美咲町はフリースを引っ張り出さねばならないほどの寒さだった。
「ここだよー!」とアーティストのひとりに廃校を案内してもらうと、校庭には不思議な迷路のようなものが設置され、校舎のなかには見る人を飲み込むようなディープな空間が広がっていた。
うわー、なんてカオスなんだ! こりゃ、確かに「リヴォリ59」そのものだな!と私は思った。
作品同士にキッチリとした境界がなく、空間全体にあらゆる作品が点在し、もともと学校にあった古い什器などと有機的に混じり合う。どこまでが作品でどこまでがもともとあったものなのかもよくわからない。壁は往年の汚れが染み付き、埃が舞い、その傍でどこか退廃的な雰囲気の似顔絵やカラフルな絵画が壁という壁を占拠する。
それは、理路整然としたコンセプトのもとにキッチリと積み上げられた瀬戸内国際芸術祭の作品群とはまさに一線を画すものだった。
当たり前かもしれないが、やっぱり59リヴォリのスピリットがちゃんと流れこんでいた。
よくよく考えて見ると「59リヴォリ」のスピリットとはいったいなんだろうか?
その質問を楽画鬼さんにぶつけてみると、「そう言われるとなんだろう。アーティスティックであることかな」と少し考え込んだ。
そこで、影絵作品を制作するアーティストの笠原舞さんにも同じ質問をぶつけてみた。笠原さんは、第3回目の芸術祭の参加者で、現在も「59リヴォリ」にアトリエを構えるひとりだ。
笠原さんは、即座にこう答えた。
「日本はなんでもすごくルールが厳しい。やってみたいけど、やっちゃいけないことがたくさんある。もちろん、フランスにもいろんなルールがあるんだけど、59リヴォリは、冒険心や好奇心で、そういったルールを奇跡的にくぐり抜けてしまった。だから、そんなミラクルや冒険という“蜜”に、夢見る虫であるアーティストたちが群がっている感じかな。ああ、こうやって、ルールを破っていろんなことをやっちゃっていいんだって、私たちに思い出させてくれるのかもしれません」
なるほど、と楽画鬼さんも私も納得した。
言い換えれば、彼らが“蜜”とか“冒険”と呼ぶのは、手を伸ばしてはいけない、でもやっぱり伸ばしたい、そんな「常識から逸脱した行為」だろう。たぶん、私たちはいつも無意識に「ここまでしかやってはいけない」と、行動の境界線を自分自身で引いてしまっている。ただ、時にそれを超えていかないとアートはどんどんつまらないものになってしまう。アーティストたちは、それを本能的に知っているのだ。
川内 有緒