しかし、パリ生活も数年が経つころには、もう少し落ち着いた場所で制作をしたいという欲求を覚えた。リンダさんはこの頃、ヨガを習いに頻繁にバリ島に通っており、田舎の静かな環境にも惹かれていた。
「パリでは毎日パーティで楽しかったけど、生活リズムも乱れていて、どこか虚しさも感じていた」(リンダさん)
「パリは物価が高いし、じゃあ、ベルリンか、または南仏に住もうかなんて話しあって」(楽画鬼さん)
そんな折、楽画鬼さんは、ちょうど日本に一時帰国。友人(日本人)の実家である岡山県を訪ねる機会を得た。それが、美咲町大垪和だった。
美しい棚田を除けば、とくに目立った見所もない静かな集落だった。アーティストは住んでおらず、人々の生活のなかにアートの「ア」の字もなかった。しかし、その素朴さと大自然こそが新鮮に映った。
そのとき、友人のお父さんは、「もし興味があるならしばらく大垪和の家を無料で貸してあげるよ」とオファー。その言葉に背中をおされ、ふたりは二ヶ月間美咲町に滞在しながらヨガを教え、作品を展示した。リンダさんは、その美しい棚田がバリ島の風景にも似ていたことが気に入ったという。 ふたりは移住を決め、パリのアトリエを引き払った。そして、長年描きためてきた大量の絵を元幼稚園の建物に運び込んだ。2011年のことである。
パリからやってきたアヴァンギャルドな雰囲気の夫婦は、最初の頃こそ集落の人にも驚かれたが、やがて受け入れられた。喫茶室とヨガ道場を営みながらじっくりと作品制作を続け、男の子にも恵まれた。子どもが生まれると、自然に地元の人々との交流も密になっていった。
移住から四年ほど経った頃、楽画鬼さんはこの美咲町にパリの仲間を呼びたいと考え始めたという。久しぶりに賑やかさや刺激を求めたのかもしれない。
楽画鬼さんは、かつてポルトガルの首都リスボンで「59リヴォリ」の仲間と滞在しながら作品制作をしたことがあった。あの時のように、みんなで一つの場所に拠点を構え、一緒になにかを作り上げてみたいと思ったのだ。
よし、あいつらをここに呼ぼう!
そう決め、企画したのが第一回目の美咲芸術世界だった。
川内 有緒