棚田×パリ×アート=???
その計算式が何を生み出すのかは、彼自身にもよくわからなかった。大きなイベントをプロデュースした経験もなかった。しかし、手探りで企画書を書いてみると、「アートプロジェクトおかやま推進事業」のひとつとして採択された。実行委員長は楽画鬼さん自身である。
とはいえ、「芸術祭を成功させて町おこし!」というようなギラギラした決意やプレッシャーはなかったそうだ。
「芸術祭を立ち上げるというより、リヴォリのメンバーを呼ぶんだったら俺にもできるなあという感じだった」
ちょうど、楽画鬼さんの家の目の前には、廃校になった小学校があった。
「そこを美術館のようにしたいという夢が膨んで、行政と交渉してみたら、そこを展示場所として使えることになったんだ」
こうして資金や舞台が整った。
「おーい、美咲町においでよ!」とパリの仲間に呼びかけると、「59 リヴォリ」の中心メンバーであるブルーノ・デュモン(フランス人)や、初期からのメンバーのスイス・マロカン(ドイツ人)など、数人が喜んでやってきた。また、現在では東京に住む元「59 リヴォリ」のメンバーふたりも合流し、小さな集落は一気に賑やかになった。
嬉しかったことは、楽画鬼さんと同様に、パリのアーティストたちもまたこの静かな山の集落が大いに気に入ったことだ。
一ヶ月ほど共同生活を送りながらかなりストイックに制作を続け、学校全体を大きな作品として仕上げた。
大きな宣伝をしたわけではなかったが、県内外からお客さんが来てくれ、手応えを感じた。
川内 有緒