未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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小路を歩けばサムライが、堀を覗けばカッパがいる?

~金ヶ崎要害と城内諏訪小路重伝建地区〜

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.91 |25 May 2017
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#7菅江真澄と諏訪神社

金ヶ崎神社の拝殿。

 カッパが出てきそうな金堀沢を渡って、諏訪公園に入り、金ヶ崎神社までやってきた。ここは昔、諏訪神社と呼ばれていたところで、今でも通称、諏訪神社と呼ばれている。

「実はこの神社で菅江真澄の直筆の文書が、戦後になって発見されたんです」と千葉さん。菅江真澄とは江戸時代の旅行家であり博物学者であり、国学者とも言える、当時としても珍しいマルチな存在だ。現在の愛知県の生まれだが、東北や北海道を広く旅し、最後は秋田に長らく留まってそこで生涯を終えた。当時、旅を生業として諸国を歩いた文化人は非常に珍しかった。真澄が書いた紀行文やスケッチは、近世日本を知る手がかりとして、その多くが国の重要文化財の指定を受けており、現在も民俗学や歴史学などで高い評価を受けている。

  • 江戸時代に建てられた本殿
  • 菅江真澄の絵馬
金ケ崎まちづくり研究会会長、高杉さんオススメの黄金神社

 真澄が岩手にも来たことはわかっていたのだが、昭和30年代に入って、真澄が書いたものがここ金ヶ崎神社で発見され、天明5年に金ケ崎に来た事実がはっきりしたのだという。当時は諏訪神社と呼ばれていたここから見る北上川の眺め、遠くに広がる東の山々や寺社仏閣は、真澄の目にもたいそう美しく映ったのだろう。その時、真澄は近江八景をなぞらえて、金ケ崎の名所旧蹟をテーマに「諏訪八景」という和歌を詠んだ。つまり真澄は初めて、金ケ崎の風土を評価した人物、と言えるのかもしれない。

 ちなみに金ヶ崎神社の本殿は寛保元年(1741)に建立された、この町の貴重な古建築の1つだ。神社に着いたら必ず拝殿の裏に回って、ぜひ本殿も見てしてほしい。他にも境内にはお隣の旧水沢市出身(現在は奥州市水沢区)で、かの二・二六事件で射殺された内閣総理大臣・斉藤實が揮毫した石碑もあるという、実は隠れた、かつ盛りだくさんな歴史スポットなのだ!

 私が神社の中をじっくり撮影していると、神社にいた先客の男性が千葉さんや市川さんと談笑していた。実は、この男性は高杉郁也さんと言って、金ケ崎まちづくり研究会の会長さんだったのだ。私は高杉さんに、この金ヶ崎神社のお勧めスポットは他にもあるか? と突撃インタビューを試みた。すると高杉さんは「それは黄金神社だねえ!」と笑いながら言う。

 はて、黄金神社とは? 「ここは金ヶ崎神社なのでは?」と私が問うと、三人が笑いながら、金ヶ崎神社の拝殿の右脇に、とても小さな神社があって金運財宝の御利益があらたかな、その名も「黄金神社」っていうんですよ。と教えてくれた。それはぜひとも拝まなくては! と私も早速お参りしてきたのであった。

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未知の細道 No.91

松本美枝子

1974年茨城県生まれ。生と死、日常をテーマに写真と文章による作品を発表。
主な受賞に第15回「写真ひとつぼ展」入選、第6回「新風舎・平間至写真賞大賞」受賞。
主な展覧会に、2006年「クリテリオム68 松本美枝子」(水戸芸術館)、2009年「手で創る 森英恵と若いアーティストたち」(表参道ハナヱ・モリビル)、2010年「ヨコハマフォトフェスティバル」(横浜赤レンガ倉庫)、2013年「影像2013」(世田谷美術館市民ギャラリー)、2014年中房総国際芸術祭「いちはら×アートミックス」(千葉県)、「原点を、永遠に。」(東京都写真美術館)など。
最新刊に鳥取藝住祭2014公式写真集『船と船の間を歩く』(鳥取県)、その他主な書籍に写真詩集『生きる』(共著・谷川俊太郎、ナナロク社)、写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎)がある。
パブリックコレクション:清里フォトアートミュージアム
作家ウェブサイト:www.miekomatsumoto.com

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。