カッパが出てきそうな金堀沢を渡って、諏訪公園に入り、金ヶ崎神社までやってきた。ここは昔、諏訪神社と呼ばれていたところで、今でも通称、諏訪神社と呼ばれている。
「実はこの神社で菅江真澄の直筆の文書が、戦後になって発見されたんです」と千葉さん。菅江真澄とは江戸時代の旅行家であり博物学者であり、国学者とも言える、当時としても珍しいマルチな存在だ。現在の愛知県の生まれだが、東北や北海道を広く旅し、最後は秋田に長らく留まってそこで生涯を終えた。当時、旅を生業として諸国を歩いた文化人は非常に珍しかった。真澄が書いた紀行文やスケッチは、近世日本を知る手がかりとして、その多くが国の重要文化財の指定を受けており、現在も民俗学や歴史学などで高い評価を受けている。
真澄が岩手にも来たことはわかっていたのだが、昭和30年代に入って、真澄が書いたものがここ金ヶ崎神社で発見され、天明5年に金ケ崎に来た事実がはっきりしたのだという。当時は諏訪神社と呼ばれていたここから見る北上川の眺め、遠くに広がる東の山々や寺社仏閣は、真澄の目にもたいそう美しく映ったのだろう。その時、真澄は近江八景をなぞらえて、金ケ崎の名所旧蹟をテーマに「諏訪八景」という和歌を詠んだ。つまり真澄は初めて、金ケ崎の風土を評価した人物、と言えるのかもしれない。
ちなみに金ヶ崎神社の本殿は寛保元年(1741)に建立された、この町の貴重な古建築の1つだ。神社に着いたら必ず拝殿の裏に回って、ぜひ本殿も見てしてほしい。他にも境内にはお隣の旧水沢市出身(現在は奥州市水沢区)で、かの二・二六事件で射殺された内閣総理大臣・斉藤實が揮毫した石碑もあるという、実は隠れた、かつ盛りだくさんな歴史スポットなのだ!
私が神社の中をじっくり撮影していると、神社にいた先客の男性が千葉さんや市川さんと談笑していた。実は、この男性は高杉郁也さんと言って、金ケ崎まちづくり研究会の会長さんだったのだ。私は高杉さんに、この金ヶ崎神社のお勧めスポットは他にもあるか? と突撃インタビューを試みた。すると高杉さんは「それは黄金神社だねえ!」と笑いながら言う。
はて、黄金神社とは? 「ここは金ヶ崎神社なのでは?」と私が問うと、三人が笑いながら、金ヶ崎神社の拝殿の右脇に、とても小さな神社があって金運財宝の御利益があらたかな、その名も「黄金神社」っていうんですよ。と教えてくれた。それはぜひとも拝まなくては! と私も早速お参りしてきたのであった。
松本美枝子