さて、「金ケ崎町城内諏訪小路重要伝統的建造物群保存地区」のガイドマップを片手に、早朝の金ヶ崎をさっそく歩いてみることにした。このマップには現在の金ケ崎の航空写真と当時の地図がほぼ同縮尺で載っている。この二つを見比べると、町の主だった道路や町の区割りは、今とほとんど変わっていないことがわかるだろう。
重伝建地区内には、復元され一般公開されている武家屋敷を含め、16件ほどの伝統的な住宅や土塁や堀、要害の跡が保存されている。非公開の住宅でも、イベント時には一部公開されるような場所もある。
町の中を歩くと、普通の町では見られないような、質実剛健な佇まいの石積みや生垣、茅葺き屋根があちこちに残っている。江戸時代の街並みって、こんな感じだったのかなあ、と思いながら歩く。
千葉さんと市川さんは、金ケ崎の重伝建地区は、往時そのままの素朴な雰囲気が残っているのが良いんですよ、と教えてくれた。確かにここは観光地化された旧所名跡にありがちな賑わいと言うよりも、むかしそのままの暮らしのイメージがまだ十分に残っている。生垣の向こうから本当に馬や侍が出てきそうな、そんな不思議な時間が街並みには流れていた。
公開されている大松沢家庭園に入ってみた。江戸時代には、大町家の山林奉行だったという大松沢家。立派な板塀と石積み、そして築山がある美しい庭園が残っている。庭園の中にはとても珍しい日本古来の山野草が幾つかあるという。この庭園を美しくするために、古くから選りすぐって植えられていたものなのだろう。現在の住宅は近代になって建てられたものだが、こちらも昭和モダン建築としての見所がたっぷりだ。
大松沢家庭園の他にも、重伝建地区内には大きくて立派な植木や生垣が多くあり、歩く人の目を楽しませてくれる。まるで江戸時代の日本画に出てくるような立派な松もある。こういう松は、現代では決して見られないような手の込んだ剪定を施しているから、すぐわかるのだそう。
もう一つ、金ケ崎の武家屋敷には面白い特徴がある、と千葉さんが教えてくれた。住宅の中の座敷、つまり一番いい部屋は、通りに面した方向、つまり通りからすぐ近くに配置されているのだという。金ケ崎の武家屋敷のほとんどすべてがその特徴があるとのこと。
これはどうしてなのだろうか? 千葉さんに聞いてみると、「城の外に出かけた殿様が家臣の家に立ち寄った時、すぐに座敷へと通せるように、そういう配慮があったため、と言われているんですよ」と教えてくれた。
不意にお殿様が来ても、慌てずに一番良いお部屋にささっとお通しする、そんな細やかな配慮が、昔からあったのかあ。なんだかいつも上司に気を遣っているサラリーマンみたい、と私は昔のお侍さんの姿を想像して、ちょっとおかしくなった。
松本美枝子