六軒丁が表小路という長い道路に突き当たるポイントに来た。当時、ここには番所が置かれていたのだという。「この番所があったところに立って表小路を眺めてみてください」と千葉さんの言うとおりにしてみる。すると「表小路」は、番所跡から見て、右手も左手も、大きくゆるやかにカーブしていることがわかる。「これは弓形道路と言って、意図的な町割(前近代の日本の都市に関する言葉で、ある範囲の土地に複数の道路を整備し、土地を区画整備すること)なんです」と千葉さんは言う。「番所から出ると正面が六軒丁、左は表小路の北口、右は表小路の南口、この三ヶ所をまっすぐに見ることができるよう計画された道なんです」とさらに千葉さんの解説は続く。
「本来、城下町の道は見通しを悪く計画しているんですが、この場所は違うんですよね」と市川さん。
千葉さんは「六軒丁と表小路は城に直に通じる道だったので、有事に備えてのことだったんだと思います」と教えてくれた。
つまり、もし敵が攻めてきても、容易に先が見えないようになっている城下町の道だけど、この部分だけは、身内だけが知っている見通しの良い道なのだ。
金ヶ崎の重伝建地区内には、一本だけ真っ直ぐの長い達小路という道があるが、そこは道にかなりの高低差をつけていて簡単に先が見通せないようになっている。ちなみに達小路は「だてこうじ」と読む。これは主君である伊達氏に遠慮して「伊」の字をとったのだとか。
さらに武家屋敷の作りにも同じことが言えるのだという。この地区に現存しているほとんどの武家屋敷は、小路から家の入り口までの通り道にゆるやかなカーブをつけている。これも伝統的な武家屋敷の作り方であり、敵が簡単に敷地内に侵入できないようにするためなのだ、と千葉さんが教えてくれた。
こうして千葉さんの言う通りのポイントに立って、道路や建物を眺めてみると、カーブの向こう側には、なんだかお侍さんが隠れているような気がしてくる。うーん、町の作りって、歴史や知識をインプットしてから眺めてみるとすごく面白い……、と私は心の中で唸った。
さて余談になるが、「武家町のはずれに面白い近代建築が一つある」と千葉さんが言うので立ち寄ってみることにした。
それは昭和初期に建てられた、電話中継所だった。当時、電話普及のため、60キロ毎に建てられたものの一つらしい。今は役場の倉庫として使われている。
なかなか良い建築なので、僕は好きだし、もっと修復して活用されると良いと思っているんですけどね、と千葉さんは言った。非常にシンプルな白い建物は、なるほど昭和初期建築のモダンさが感じられる。市川さんも建物の裏手に回って、昭和モダンな階段や窓枠などを見て、これは面白い建物だなあ、と写真を撮りまくっている。もしかしたら市川さんは、ここにはまだ年の若い妖怪がいるかも、なんて思いながら建物を眺めているのかもしれない。
とにかく、伝建地区の金ケ崎には、実は昭和の近代建築もあるのだよと、こっそり人に伝えたくなる建物であった。金ケ崎に行ったら、達小路にあるこの倉庫も、ぜひ探してみてほしい。
松本美枝子